あの日見たCMの正体を私はまだ知らない
おそらく15年ほどは昔に見たはずのテレビCMで、深く心を打たれて今も覚えているものがある。
正しくはCMの中のワンシーンだけが強烈に印象に残っていて、それ以外はぼんやりとしか思い出せない。
たしか、18歳くらいの青年が3~4人の同級生らしき友達と一緒に遊びに出かけるところから始まるCMだった気がする。彼らは海かどこかでひとしきりはしゃいで、ふざけあって、青春を謳歌する。
私が忘れられないのは、その後に彼らが帰路につくシーンだ。
電車のロングシートに並び、友達がみんなくたくたに遊び疲れて眠っている中で、その青年だけは目を覚ましていて、背中の車窓からすっかり陽の落ちた外の景色をひとり静かに眺めている。さっきまで笑顔で飛び跳ねていた青年の、遠くを見つめるような顔つきが少し大人びて見える。
そこでキャッチフレーズが差し込まれるか何かしてCMは終わるのだけど、私はとにかく先述の演出に心を奪われてしまって、そのあたりは記憶にない。
あれは何の広告だったのだろう。
「みんなが寝ている中で自分だけが起きている時間」には、何か特別な、神聖な空気がある。
時が止まった世界で、私ひとりが考えることを許されているような。
群集劇の中でふいに照明が落ちて、スポットライトのもとで独白をしているみたいな。
みんなでいる時間が楽しくバカバカしいものであるほど、ひとりになったときにはかえって感傷的になって、なんだか慈愛に満ちた気持ちまで湧いてきたりする。一言でいうなら「エモい気分」というやつだ。
このときの不思議な感覚はおそらく、いつもどおり友達と接するときのオモテの自分と、もう一段階深いところでそれを客観的に見ている内面の自分とが、じんわりと切り替わることに端を発していると思う。
周囲が寝静まったことで、内なる自分が奥からぬっと顔を出してきて、誰にも見せていない悩みのこととか、自分を取り巻く人間関係の機微とか、その関係性がこれから変わっていったり、あるいは変わらなかったりするだろうこととか、あれこれと考えを巡らせる。
そうしたメタ思考の副産物として、エモさが醸成されるのではないか。
似たような情緒が表出してくる場面は他にもある。
たとえば少年時代。自宅に遊びにきた友人たちとゲームなどして騒いで、泣くほど笑って、彼らが帰ったあとに部屋に残った食器やお菓子の袋をひとり片付けているときとか。
それから大人になっても、たとえば気の合う仲間との飲み会で。途中で少し外へ休憩に出て、漏れてくる笑い声をぼんやり聞きながら夜の空気を吸っているときとか。
いずれも構造は同じだ。
開かれた世界から閉じた世界へ。
オモテの自分から内なる自分へ。
その落差の大きさを考えると、あの電車のシーンのエモさはやっぱり他の追随を許さない。
友達と一緒におどけていた青年と、ロングシートの真ん中でひとり外を眺める青年が、一瞬の場面転換のうちに接続される。
無防備にすやすやと眠る仲間たちの姿がオモテの世界の余韻を残す中、純度100%の内なる自分がポツンと浮いている。
その対比によってセンチメンタルはさらに加速する。
いつか見たあのCMは、明らかにそういうエモの構造みたいな部分を意識してカットが作られていた。だからこそ衝撃だった。
あの神聖で不思議な感覚を、こんなに鮮やかに切り取れるのか。
そこを切り取って映像作品に仕上げようと意図した誰かがいるのか。
当時の私には、まるで心の内を見透かされたような気持ちがした。
結局どこのCMだったのかは、いまだにわからない。
ときどきふと気になって、
「電車 友達 寝ている CM」
「遊んだあと 電車 自分だけ起きている CM」
みたいにヤケクソな検索ワードでGoogleをあさってみるのだけど、毎回それも徒労に終わる。
15年も前の話だ、無理はない。
でもやっぱり忘れられない。
CMを探しています。
帰りの電車で寝ている友達の中で、ひとり外を眺める青年のCMです。
似た特徴のCMを見かけた方はぜひご一報ください。
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