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薄暗い深い池

私の内部には真っ暗な闇が渦巻いている。それは、私の中の暗い部分が長年蓄積されて出来上がったゴミだらけの池のようなものかもしれない。私はその得体の知れない自分の中の闇から長年目を剃らせてきた。見たくない自分の本音をその池に溜め続けてきた。
家族に対する怒りや恨み、そして他者に対する無関心さ。本当の私は他人に興味等なく、この世界なんて滅びた方が良いとさえ思っている。人間なんて絶滅した方が世の為だと本気で思っている。
私はいつからこうなのだろうか?きっと、ずっとその様な気持ちがありながらも本音は誰にも言えずに隠して何とか他人と上手くやってきた。それも結構、楽しくやっている。
しかし、もう本当に限界で私の中の池は汚物だらけで悪臭を放っている。
これ以上、人間社会の色々な茶番に付き合ってはいられない。
 
まずは、この汚物をどう処理しようか?
誰かに吐き出したら、きっと私は相当白い目で見られ嫌われるだろう。まぁ、そんな事ももうどうだって良いのかも知れない。私はただ穢れた池の前で佇んでいる。自分が作り上げたゴミの出し方すら分からない。綺麗な水をどんなに飲もうが流れていってはくれないのだ。
私は自分の中の暗い部分をもう一度拾い上げて一つ一つ見に行く事を決意する。丁寧に洗って、乾かして、そして埋葬するのだ。そんな事を思いながら私は自分の中の負の感情と向き合う事になった。
 
殺人事件や、虐待、そんなニュースを見る度に私は昔から何故か犯人側の気持ちが分かる様な気がした。そんな自分が恐ろしく、自分もいつかそうなるんじゃないかと思っていた。実際に私は20代の頃に精神が錯乱し事件を起こし警察に捕まり精神科に入院する事となった。もう、池は限界だったのだ。池の生き物は全て死に、ただ汚い汚水が渦巻いている。深い深い闇に飲み込まれてしまったのだ。私は自分がいつも分からない。何のために生きているのか、何のために産まれてきたのか。
生きていれば、腹が減る。食べればその内に眠くなって眠る。そして、排泄する。色々な考えも自分の脳が生み出していく。私は食べて、眠って、出す。そして無駄な事をまた考えている。セックスだって生きていれば当然したくなる。
人間という行為をいつまで私はやれば良いのだろうか?早く終わらせたい。早く楽になりたい。そう、私の中に究極的にありいつまでも消えない感情こそが、
「死にたい」
という気持ちだった。なぜ、人間は生きなければいけないのか?これ程までに地球を汚しながら。私は、その感情をなるべく見ないようにして生きてきた。
 
私の母は自死している。自死と言うのは本人は楽になるかも知れないが、残された家族は本当に辛くいつまでも消えない悲しみが残る。それを経験した私が、
「死にたい」
とは、やはりどうしても言えないものであった。これ以上家族に辛い思いはさせたくない。そんな気持ちから私は生きてきた。本当はいつだって終わらせたかった。母だけ楽になりやがって、と言う気持ちが常にあり簡単に死にたい等と言う奴は本当に腹が立った。
 
人間とは、きっとすぐに死にたくなる弱い存在なのだろうと思う。死への願望はきっといつの時代にもあり、決してこの先もなくなる事はないのだろう。未知の世界への憧れの様に、死とはきっと人々を虜にする。
だからこそ人は人との繋がりが必要なのではないだろうか?死への誘惑に、一足先に飲み込まれないように。どうせ最後は全人類が経験できる死なのだから。最後の最後の人生のお楽しみに取っておけば良いのだ。
死にたい気持ちを吐き出したら、私の中の池は少しだけ透明さを取り戻しつつある。
 
 

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