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井戸の外広すぎて井戸だらけだろって話

外に出たらとてもいい天気で、
「気持ちいい~、ちょっと散歩しよ」と思って、



、、

、、、

リアルに3歩で引き返した。面倒になって。

私の家の周りの回遊性が悪いのがいけないんです。
どの道に入っても行き止まり。
散歩のしがいがまるで無い。




さて、

先日他大の女の子と話す機会があった。
同じ業界を志望する、就活生。
当然ながら、就活の話になる。


私は志望する業界で就活するにあたって、ひとつだけ
「まあ、これは多少他人より加点されるポイントだろう」
と思っていたものがあった。

詳細を述べると色々あれなのでぼかすが、

吉野家のバイトの面接で
「1年間スーパーで働いていたので、レジは打てます」
って言える

くらいのことだ。

想像してくださると嬉しい。


くだんの女の子との会話に戻る。
その子は私と同じで、その業界のための学問を学んでいるわけではなかった。
吉野家で言えば、調理の勉強している、とかではない。
(吉野家で働くのに、調理の勉強が必要かは存じ上げない)

だから、完全に油断していた。
心のガードを全くしていなかった。


彼女は言ったのだ。

「私、半年だけスーパーでレジ打ってたんだ」

と。



原文ママでは、一切ない。

要するに、自分が持っている唯一の加点ポイントを
彼女もまた持っていたのだ。

しかも、それを全く驕らず、
さも些細なことかのように話した。


この世は、広い。

SNSを見ていれば、そんなことは嫌でも分かる。
はずなのに、分かっていなかった。

見えているものと、自分の周りの小さな世界が
全く繋がっていなかった。

井の中の蛙
しょーーもない、ただ私が自信を失った話である。




ただ一つ、思ったことがある。

井の中の蛙って、結構いいことなんじゃないか、と。


この世は広い。
井戸を出て外の世界を知らなければ、向上することも知らず、現状に満足して、ろくなやつにならない。

それは間違いではない。
が、


この世は広すぎる。
ゆえに、外の世界のことは視界に入れつつも、
自分の井戸の中でやり過ごしている人も多いのではなかろうか。


井戸の外は大海だと思っていたら、
井戸の群生地だった。

だったら、自分はその井戸の中の頂点だ!と
堂々と生きられる方が幸せだし、
自信は好機を引き寄せる。



この弁論講釈が元の慣用句の道筋とはかけ離れている
というのはお許しいただいて、
井の中の蛙だった私を正当化してみたりして。



でも残念ながら、私は井の中の蛙を卒業してしまった。
もう、1年間のレジ打ちの経験を、堂々と語ることはできない。

さあて、どうしたものか。


就活は終わらないし、
コーンスープを大量飲みする方法も
未だ思いつかない。



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