今日のあなたにハマって、数日後のあなたにハマらなくなったとしてもいい。
何かが気になったり興味をもったとき。それか、自分の中で旬になっているもの。そういったものがあるとき、SNSでその情報を発信しているアカウントをフォローする。その情報を詳しく知りたいから。
そうすると、必然的にジャンルが集中してくるのは当たり前のことで、SNSの画面はその情報でいっぱいになる。でも、遅かれ早かれ「もういいかな」と思う時期が必ずくると思う。
私もそういうときがある。同時に、同じ経験をしたことがある人がいるんじゃないかとも思っている。自分の気持ちのメーターが最大値を過ぎ、ゆるやかに下降していく。自分の中では旬を過ぎてしまったから。
それを私は、noteを使っていて感じた。自分の過去や生活の中で感じたこと、HSPの話など統一性がない私のnoteは、投稿した後にフォロワー数が変化することがよくある。
例えば、HSPについてのnoteを書いた時。HSPの人が偶然見つけて、私のnoteを気に入りフォローしてくれたとする。たぶんその人は、私が次回もHSPについてのnoteを書くと少なからず思うのではないだろうか。
でも、次に私が書いたのはまったく別のことで、その人からしたら興味のない内容だった。期待していたものじゃなかったと思った時、旬の最大値を指していた心のメーターは、確実に下がっていくだろう。そして、フォローを外すと思う。
でも私は、それでいいと思っている。
だって、フォローするきっかけになったnoteは、その時のその人にぴたっとハマっていたんだから。その時、欲しいと思っていたものをその人へ提供できたんだから。
もちろん、フォローをしてnoteを楽しみにしてくれる人がいることは、とてもありがたいことだ。自己肯定感の低い私の背中を、優しく押してもらっているような感覚になる。本当にありがとうございます。
だからと言って、フォローを外す人を非難したいわけではない。そこだけは勘違いしないでほしい。外す外さないを決めるのは私じゃないし、「あれ?ちょっと違ったかも」と、感じることなんて誰にでもあることだ。
だから私は、必要な時に必要なものを、提供できた瞬間があるだけでいいと思っている。もちろん、フォロワー数が増えれば「わー!共感してくれるんですね!ありがとうございます!」と、嬉しくなる。
反対に減った時は「旬じゃなくなったんですね。わかるわかる、その気持ち。気が向いたらまた見にきてくださいね。私もまた、あなたにハマるnoteを書くかもしれないので!」と、送りだす気持ちでいる。
ずっと「いいなぁ」と思ってもらえるのもすごく嬉しい。でも、偶然見つけて「あっ、これいいな」って思ってもらえる瞬間も同じくらい嬉しい。だから私はそれでいいと思っている。
私の書いた文章が今日のあなたにハマって、数日後のあなたにハマらなくなったとしてもいい。情報が溢れる世の中で、偶然見つけて手にとってもらえる。そして、一瞬でも「いいな」と思ってもらえたり、役に立てたりしたら私はそれだけで満足だ。
だから、これからも誰かの、その瞬間にぴたっとハマる文章を書けたらと思っている。もちろん、自分の気持ちに素直になることも忘れずに。
最後まで読んでいただきありがとうございました。