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【読書】ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

3歳の娘が通っている公立保育園は、日本人が大多数だけれども、都内ということで、いろんな子どもが通ってきている。


アジア系の国籍の子も多いし、その他の地域がルーツの子もいて、違いを感じられる豊かな環境にあると思う。

そして、おそらく国籍だけでなく、家庭環境も結構多様性がありそうである。送り迎えですれ違うお父さん、お母さんを見ていると、ラフな普段着で園に来る人もいれば、スーツ姿の人もいるし様々。普段仕事では合わないようなタイプの人をお見かけする。

先日は、とあるお母さんが金髪のドレッドヘアでお迎えに参上し、うちの娘がしばし固まってその場で凝視して動かなくなるということがあった(笑)

東京では小学生から受験をする家庭も珍しくない。そのためもう数年もすれば、ある程度似たような家庭環境や価値観の人に囲まれた生活が始まる可能性もある。そう考えると、いろんな人と多様性の中で過ごせる期間はわりと今の時期だけなのかもしれない。

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーという言葉は、多様性の中で悩み、自分を確立させていこうとしている息子さんの揺れ動く状態を表現したもの。この本は、そんな息子さんの学校生活を見守る著者の体験記である。


「子どもにとっていいこと、それはすべてにぶち当たることかもしれない」


という一文がある。日本人とスコットランド人との間に生まれ、イギリスで暮らす、著者の息子さんは、比較的裕福な家庭の子どもたちが通っていた小学校からあえてイレギュラーな選択をして地元の中学校へ進学する。

そこは、少し前までは底辺中学校と言われていた学校で、家庭環境が悪く、里親に出された子どももいる。いじめや差別、ドラッグなども身近な環境にある。

著者の息子、”ぼく”は、そんな環境の中でマイノリティなアジア人として時に心無い差別を受けながらも、「なぜ人は人を裁こうとするのか」「報復しあったとしてその先にどんな未来があるのか」など、経験を通して人のあり方に関心を向けていく。

知っていることと、経験して学ぶことは圧倒的に違うというが、この本を読んでいると、息子さんがリアルな体験から本物の学びをして、たくましく、しなやかに成長していく様子が感じられる。

そうした様子を見ていると、自分の子どもがどういう子どもに育ってほしいかと考えさせられる。

不都合な現実、嫌な気持ちを味わってほしくないなという気持ちも確かにありつつも、同時に、そのような現実をを前にしても、妥協したり、流されたりせずに、自分なりの現実解を見つけていってくれるようなしなやかな子に育ってほしいと思わせてくれる。

そういう意味で、親である自分の価値観と覚悟が問われていて、日々の中で自分自身も子どもと一緒に、やり過ごさずに生きているかを考えるようにと言われているように感じた。


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