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【読書】窓ぎわのトットちゃん

この本のタイトル、どこかで聞いたことがあるという方もいらっしゃるのではないだろうか。黒柳徹子さんの子ども時代のことを描いた、本当にあったお話。

まもなく太平洋戦争が始まろうとする頃。トットちゃん(=黒柳さん)は小学生時代をトモエ小学校で過ごす。実はこの小学校は転校して入った2番目の学校で、実は黒柳さんは1年生の時に早々に最初の学校を退学処分となってしまっている。

とても好奇心いっぱいで、最初に通っていた小学校では、席にじっと座ってられなくて、窓の外を通るチンドン屋さんを呼び止めてしまったり、鳥に話しかけてしまって、結果的に授業を妨害してしまって先生から怒られてばかり。うちでは面倒みれませんと言い渡されてしまう。


そこで、お母さんが見つけてきてくれた新しい学校がトモエ小学校。ここで黒柳さんの人生を変える恩師ともいえる校長先生(小林先生)と出会う。最初の挨拶のシーンがとても印象的。トットちゃんが挨拶に行くと、校長先生は椅子を用意してまっすぐ向き合い、「さあ、なんでも先生に話してごらん。話したいこと、全部。」というのだ。トットちゃんは思いつく限りのことを話、そして、ついに話すことが尽きてしまう。気づくと半日が経っていたというエピソード。

そのときに、トットちゃんは生まれてはじめて「本当に好きな人にあったような気がした」と書いている。


自分にも今小さな娘がいる。100メートル歩くのにも10分以上はかかることはざらだ。

子どもは視野が広くて、空を飛ぶ飛行機もカラスも、すずめも、、、とにかく目ざとく見つけるし、風に揺れる葉っぱ、その色合い、人の影、道路の交通標識、草花、そしてそこにとまっている虫にもいちいち気が付き、感動する。目的地ではなく、その道を楽しんでいる様子が伝わってくる。

子どもの話を遮らず、半日も聴くということが今の時代どれくらいできるだろうか。それはもちろん時間的にということだけではなく。

トモエ小学校では、リトミックを取り入れた教育をしていたという。その説明に次の一文がある。

「文字と言葉に頼りすぎた現代の教育は、子どもたちに、自然を心で見、神のささやきを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?」

「世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず…の類である」

当時の日本にこのような子ども主体と言える学校運営があったのだなあと感嘆するとともに、瑞々しい黒柳さんの子ども時代の感性と、自由に個性を伸ばす校長先生はじめ、教育者の温かいまなざしに心があたたかくなります。

お勧めの一冊です。

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