「在るべき場所」に帰るとき。

大切な思い出も少し置いて行こう。すべて背負ったままじゃ渡るには重くて。(UVERworld / 激動)

 また一つ関係を断ち切った。

この時代では繋がろうと思えばすぐに繋がれるけど、そのインフラを断ち切る、スマホのアプリを長押しして削除すればそれでさよならバイバイ。繋がるのも容易であれば断ち切るのも容易なのだ。誰かが嫌いになったわけじゃないけど、正直いまの自分には重かったしうっとおしいと思ってしまったのが率直な本音。繋がることは容易だけど断ち切ることも同様に容易なのが現代なのだと思う。時として繋がりは人を苦しめる煩わしさに変わる。そのつながりの煩わしさは「呪い」に似ている。

 小学校から中学校、高校、大学、大学院といろいろな環境で生きてきた。アルバイトや留学も含めれば様々なコミュニティで生きてきたと思う。幸運なのはそれぞれのコミュニティできちんと仲間ができてきたことだと思う。その時々で目の前にいる人を大切にするように心がけてきたけど、自分の精神的なキャパシティが狭いことは自覚していて、一度に大切にできる人間の数が決まっている。小学校と中学校で今も会う人はほぼゼロに近い。大学と大学院はまとまって会うことはないけれど、個々で時々会う人はいる。例外は高校で部活動単位だったり、クラスから派生して一部仲の良い人たちとは定期的に会うようにしている。

 いろんなコミュニティに属してきて思うのは、それぞれでの自分の立ち回りというか役割が異なっている。なまじ良い大学、大学院に行ったばかりに、それぞれでは少し力を入れて向かわなければならない時があったりとか、それはそれで楽しいのだけど、疲れる時もある。多分高校の時のコミュニティにいる時が一番力を抜いて素の自分でいられると最近高校の友達と話をしていて思った。15歳の時の自分と変わらないテンションで関われると思った。

 閑話休題

 高校生の時にバンドを初めて以来ずっとバンドを、音楽を続けてきた。高校の時は固定バンドが基本的な単位だったので、そのバンドを。大学の軽音サークルは毎月行われるライブでやりたいアーティスト、曲でメンバーを集めて曲を披露する。幸運なことに趣味があったメンバーと固定のバンドを組んでオリジナル楽曲を作ったりもした。自分のキャパの限界を迎えて大学を卒業する段階でバンドをやめて以来、大学院に入ってからはバンドは全くやらなくなった。楽器はたまーに弾いたりはするけどバンドはやらない。留学した時に、生活が変わったことで今までの生活が引き算されて、それでも残ったものが自分の構成要素で、音楽、バンドは自分の欠かせない要素の一つだということに気づかされた。図書館に併設されている音楽スタジオにいってひたすらに楽器を鳴らし続けた。4時間ぶっ続けでギターにドラム、ベースにアコギの弾き語り。休憩もとらずにひたすらに何かにのめりこんだのはなんだか久しぶりだったように思う。満たされない気持ちが少しだけ満たされた気がして、とにかく楽しかった。

 「バンドをやりたい」帰国する前に決めたことの一つである。大学院に入ってからというものの、どこか何か物足りなさを抱えて生きている気がしていた。普通に生きていたら、あのライブで分泌される脳内物質は分泌されないことに気がついた。一人で楽器を弾いていても分泌されない。一緒に楽器を弾くメンバーの存在そしてオーディエンスの存在があってこそ得られる快感、快楽なのだと思う。どこか満たされないまま生きている風な感覚があったけど、その原因は音楽だった。自分から切り離してはいけなかったのだ。

 先週高校の友達(元バンドメンバー二人)に会った時に思い切って気持ちをぶちまけてみた。留学中に楽器をずっと触っていたこと、人生に物足りなさを感じていること、バンドをもう一度やりたいこと。溜まっていた感情が溢れ出した瞬間である。二人の反応はよかった。二人も「満たされなさ」を少なからず感じていたようだった。何か原因があってバンドをやめたわけではなかったし、高校を卒業してからも、二人ともそれぞれで音楽を続けていたけれど、それもやめて働く生活が続いていた。ある意味ではタイミングがよかったのかもしれない。その日はいなかったメンバーにも連絡してスタジオにとりあえず入ることを約束して別れた。この時が自分の中で一つ願いがかなった瞬間だった。今からプロを目指したいわけじゃないが、生きる糧として音楽を、バンドを続けることを選んだのだった。

 話を戻して、いろいろなコミュニティを経験してきて、お別れになる人たちもあれば、まだ続いていく人たちもいて。コミュニティはその時その場に偶然いた人の集合体に過ぎないのかもしれない。「その時」が終われば散り散りになって二度と会わない人だっている。特に小学校〜高校くらいまでは自分で選んだ感覚は薄い。大学に入ってくらいからようやく自分から関係を「選択」するようになるのだ。選ぶことは悪いことだとは決して思わない。それぞれがそれぞれで集まっているわけで、二度と会わなくたってそれは選択の一つだ。会いたかったら会う選択をすればいいだけだ。会いたいと思えば会えばいいし、会いたくないと思えば二度と会わないことだってできる。正直中学までの知り合いには二度と会いたくない人の方が多い。だから会わない選択をしている。そういう人間のつながりの煩わしさを抱えたまま生きていくのは嫌だ。

 「バンド」はコミュニティよりも小さい単位ではあるけれど、家みたいなもので、何か別のところで嫌なことがあっても、家に帰れば愚痴が言える。アプリオリな血縁上の関係と違って、自分たちで「選んで」集まった人たちだ。そんな家があることの強みが別のところでやっていく強さをもたらしてくれる。最初はたまたま同じタイミングで同じ高校の同じ軽音楽部にいた人たちだったかもしれないけど、今自分の「在るべき場所」として存在してくれる。高校を卒業してから早8年くらい。ものすごい遠回りをしてきたけど、帰るべき場所はここにあったんだと思いました。

ただいま。

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