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35歳になりました。7年前の自分への手紙

おかげさまで、今日で35歳になりました!

会社員だったら「中堅」と言われる年齢ですよね。

約7年前に脱サラをして、一人で仕事をしている僕としては、あまり「中堅」という自覚がありません。上司も同僚も部下もいないので。

同年代の仲間と会う度に「俺らも中堅だな〜」なんて言葉を耳にするので、「ああ〜。そういう年なんだな〜」と思うくらい。

ただ、考えてみればたしかに。最近は、年齢を答える度に「若いね〜!」とは言われなくなって来ました。笑

うん。やっぱり、そういう年齢になったみたいです。信じたくないけれどもw


さて、せっかくの「誕生日」なので、それなりに色々あった人生を振り返ってみようかと思います。

会社員を脱サラし、社会不適合者道を爆走する中で、いろんな学びがありました。

僕の人生は、最近ようやく楽しくなってきましたよ♪

7年前。脱サラをした頃の僕へ

今から約7年前。僕は、一念発起して会社員を脱サラしました。

夢や希望があって脱サラしたわけではなく、むしろ「逃げる」をしたくて選んだ選択肢でした。

職場で「いじめ」を受けて、うつ症状になったので、とにかく辛い現状から逃げたかったんです。

でも、会社員経験しかない僕は、自分の力で「稼ぐ」をした経験がなく、「お金」にすごく悩みました。

(生後半年の子どもがいたし、35年ローンで建てたばかりの家もあったので・・・。「人生のどん底」でした。)

そこで、「稼ぎ方」の勉強をするために、たくさんのコンサルや起業塾に通って、ガムシャラにビジネスを学び・実践を繰り返し、スキルを身につけました。

あの頃の僕は、利己的な理由でしか「稼ぐ」をする余裕がなかったなぁ。毎日を生きるのに必死で、他人に優しくできる余裕なんて全くなかった。

だから、徐々に稼げるようにはなったものの、インスタントで即席な稼ぎ方(アフィリエイトとかやってました)で、なんとか凌いでいただけで、「ゆとり」を感じるような生き方はできていませんでした。

先(未来)を思い描こうにも、足元のことで誠意一杯。

毎日、自分の進んでいる方向は、本当に「光」に向かっているのか?という不安感の中で過ごしていたんです。


でも。今となっては、それでよかったと思うし、それがよかったと思えています。


自分で言うとおこがましいけれど。

あの頃にした「苦労」があったからこそ、今は、当時の僕と同じように、「これから自分スタイルの活動を作りたい!」と思っている方々をサポートできるようになったからです。

そして、出会えた皆さんの人生が、どんどん良い方向に進んで行く様子を拝見し、その過程にご一緒させていただけることが、今の僕の「生きる喜び」になっています。

(クライアントの皆さん、いつも本当にありがとうございます!!)


「若い頃の苦労は、買ってでもしろ!」


なんていう人がいるけれど、あれは本当ですね。

「苦しい時期」を過ごしてきてくれた僕がいるからこそ、今の僕がいます。

だから、振り返ってみると、ここに辿り着くためには、全ての「過去」が必要なものだったのだ、と心の底から思えるんですよね。

7年前。真っ暗闇の「不安」の中。

自分の人生を信じて、勇気を持って漕ぎ出してくれた「あの頃の僕」には、感謝しかありません。

「ごめんなさい。許してください。ありがとうございます。愛しています。」=「ホ・オポノポノ」ってご存知ですか?

「ホ・オポノポノ」とは、ハワイの言葉です。

日本語にするなら「ごめんなさい。許してください。ありがとうございます。愛しています。」という4つの言葉の意味を、ギュッっと凝縮した言葉なんだとか。

僕は、独立してからの7年間で、一番しんどい時期にこの言葉に出会いました。

どうにもこうにも上手くいかなくて、なんとか現状を抜け出したい!!と、藁にもすがるような想いで生きていた頃に、「ホ・オポノポノ」に出会ったんですよね。

ちょっとスピリチュアルな話になるんですが、「ホ・オポノポノ」を唱えるだけで、「浄化」が起きて、人生がうまく行くようになるらしいんですよ。(信じるか、信じないかはあなた次第です)

最初は、疑い半分で「ホ・オポノポノ」を活用していたんですが、振り返ってみると、たしかに、あれから人生が好転してきたような気もしています。

そして今なら、なぜ「ホ・オポノポノ」に効果があるのか?が、腹落ちレベルでわかるんですよね。


なぜなら、前述したように、「今の自分」になるためには「過去の自分」に対して「ごめんなさい。許してください。ありがとうございます。愛しています。」と思わず声をかけたくなるほど、「辛い過去」が必要だった、とわかったからなんですよ。


そう考えると、7年前の僕に訪れた「人生のどん底」は、「今の僕(未来の僕)」からのプレゼントだったのではないかな?と理解できます。


いや、というか「そうとしか思えない」と、確信しているほど。

未来の僕が、過去の僕に対して「理想の僕になりたいなら、そのために必要な“試練”をプレゼントしてあげるね。ごめんね、辛いと思うけど、許してね。頑張ってくれてありがとう。愛してるよ」と言ってくれているんじゃないのかな?!と思ったんです。


このことに気づいてしまった今は、目の前に訪れる全ての「試練」が「プレゼント」に見えるようになりました。

だって、きっと今の僕の目の前に現れている、次なる試練の全てが、きっと未来の僕(理想の僕)からのプレゼントのはずだから。

そう思ったら、世の中全てが「愛」でしかないんじゃないのかな?とまで、思えるようになってきたんですよね。大袈裟かな?でも、本当にそうだと思う。

もし、全てに「偶然」はなく、「必然」なんだとしたら?どうでしょう?

限られた人生の中で、どこまで行けるかなんてわからないけど、僕は「どうせ、もっと幸せになっちゃうんだろうな〜」という安心感があります。

「自分を信じて・愛する」とうまく行く

ということがわかるようになってから、僕は人生の安定感と充実感を取り戻すことができました。

「取り戻す」という表現を使ったのは、「ない」と思っていたものが、実は最初から「あった」ということに気づけたからなんですよ。

だから、35歳のこの一年も。きっと全ての「幸せ」を、もう僕は持っているんだと思います。

そのことを一つずつ、じんわりと感じながら。全てを未来の自分からの「プレゼント」だと信じ、感謝し、受け止めて。焦らずに、しっかりと吸収し。さらに多くの方や社会のお役に立てる人間になれるように、自己成長を続ける土台を創っていきます。

最後になりましたが、今、僕の人生を一緒に歩んでくださっている全ての皆さま。心の底から感謝しています。本当にありがとうございます。

これからも、一緒に「面白いこと」をさせてください。

35歳も、全力で楽しみながら生きていきます^^


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