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SNSの誕生日通知がめんどくさすぎる

「今日は、〇〇さんのお誕生日です」

ほぼ毎朝、スマホを開くとそんな通知が届く。

あの機能って、めんどくさくないですか??

こんなことを思っているのは、僕だけなのかな?僕が冷たい人間なのかな?なんて考えてみたこともあるけど。

いやいや、どう考えてもめんどくさいわ!!と思ったので、思いの丈を書いてみようと思う。

あなたは、あのSNSから届く「〇〇さんのお誕生日です通知」のことを、どう思っていますか??

【実話】誕生日が潰れてイライラした日

僕は自分の誕生日は、盛大にお祝いしたい派です。

だから、たくさんの人から「おめでとう!」と言ってもらえることは、すんごく嬉しい!!!


だけどね。

SNS上だけで繋がっていて、1度も会ったことがない人や、毎年誕生日のときにだけ、わざわざダイレクトメッセージで

「お誕生日おめでとうございます。」

という感情もこもっていないであろう、お祝いメッセージテンプレート文を送ってくる「ごめんなさい。あなたどちら様でしたっけ?!」系の方がけっこういるから、がっかりしちゃうときがある…

そういったメッセージを、自分にとって一年に一回しかない貴重な誕生日という限られた時間の中で、間違って視野に入れてしまう度に、

「もう、、毎年。毎年。何やねん!!!あなたから前回に届いたメッセージは、去年の誕生日が最後だったやんか!!!ってか、その前のメッセージは、さらにその前の誕生日の日だったやんか!!それ以外に用はないんかい!!!!!」

と思わず、東北人のくせして、つい普段なら使いもしない関西弁をなぞに使いたくなる自分がいる。

あと、「今日は〇〇さんのお誕生日です」という通知に反応して、似たようなメッセージをSNS上のタイムラインから送ってくる「どなた様でしたっけ?」系の人にも似たような感情を抱いてしまう。。(やっぱり、僕が冷たいのかもしれない)

とはいえ、そういう「誕生日おめでとうテンプレート族」に対して、無反応を決め込むのも大人として感じが悪い気がしちゃうから、ついついこちらも「ありがとうございます。良い一年にします。」という「お礼テンプレート」で返信をしてしまう。

そういうことを繰り返しているとさ、気がつくと僕の貴重な誕生日の時間は、メッセージの返信作業だけでほぼ終わっちゃうことがあるんですよね。←この状況が、ほんんんんんとに、イヤ!!!

「どうして、貴重な誕生日だというのに、一日中SNSばっかり触らなきゃあかんのじゃ!!!」と、スマホをぶん投げたくなる衝動に襲われる。

だって、そんなことをしている時間があるなら、家族や大切な仲間たちと一緒に、ゆっくりとご飯にでもいきたいのですよ!!


そこで、僕は考えた。

そうだ「〇〇さんのお誕生日です通知」がSNS上で勝手に流れてしまわないように、設定変更をすれば良いのか!と(気づくのが遅い。笑)

でもね。その結果、さらにめんどくさいことが発生してしまったのです。

今度は誰からも「おめでとう」と言われないw

「〇〇さんのお誕生日です通知」が勝手にSNSから流されないように、設定変更した僕は、満を持して翌年の誕生日を迎えた。


「よし。今年こそは心穏やかに過ごせるぞ。」


そう思っていた。

でも、現実は違ったのだ。「〇〇さんのお誕生日です通知」が流れないようにSNSの設定を変えた結果、翌年はほとんど誰からも「お誕生日おめでとうございます」というメッセージが届かなくなってしまった…


「いやいや、それはそれで寂しいじゃん!!!!」笑


我ながら、なんともわがままな話である。笑

「おめでとう」と言われるのがめんどくさいから、設定を変更したくせに、言われないことに物足りなさを感じてしまったのだ。

もう、ここまで来ると、SNSの「〇〇さんの誕生日です通知」に、一人で勝手に踊らされている自分自身に対して、思わず声を出して笑ってしまった。


「〇〇さんの誕生日です通知」は、受け取っても、受け取らなくてもめんどくさいという、二重苦だ。笑


で、こんなことを毎年自分の誕生日になる度に考えているものだから、他人に対する「〇〇さんのお誕生日です通知」を目にしたときも、それなりにめんどくさいことを考えはじめてしまう自分がいる。これまた、さらにめんどくさい。

誕生日おめでとう!が言いずらいときの対処方法を考えてみた

「顔も名前もわかるけど、向こうは僕のことを覚えてくれているかな?」

くらいの、絶妙に近いような遠いような距離の関係にいる人への「誕生日おめでとう通知」が届いたときほど、対応に困ることはない。

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「いいね」だけにしようかな。いや、でもなー。「おめでとうございます」くらいはコメントを入れておいた方が良いかなー。ん?待てよ。「〜した方が良いかな?」なんて考えている状態でメッセージをしてしまったら、僕が嫌悪感を抱いている「誕生日おめでとうテンプレート族」と同じになってしまうから、むしろ失礼なんじゃないのか?!あぁーー。もう。どーーーーしよう。めんどくさーーい!!

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なんてことをグルグルと考えているうちに、しっかりと迷宮に落ちてしまう。

そして、結局最後は「やらなかった後悔はしたくない!」なんて謎の結論らしきものに至って、「おめでとうございます」と、なんとも変にぎこちなさが残るメッセージだけを残して、走って逃げるかのようにSNSを閉じる。

そして、そのとき、気がつくんだよなー。

「きっと、毎年僕にメッセージを送ってくれている『誕生日おめでとうテンプレート族』も、こういう気持ちなんだろうなー」って。笑

あの人たちも、決してテンプレート文を送りたくて送っているわけじゃないのだろう。色々考えた結果、僕と同じように、変なぎこちなさが出てしまっているだけなのだろう。

うんうん。だから、本当はわかってるよ。君の気持ち。いつもありがとうね。僕も立派な「誕生日おめでとうテンプレート族」です。仲間です。

終。

と、したいところだけど、まだ言いたいことがある!笑

だって、僕はまだ「〇〇さんのお誕生日です通知」との戦いから、逃げたわけじゃないからだ。

僕は「〇〇さんのお誕生日です通知」が届いて、その相手にコメントをしようかと悩んだ際には、必ずその人の「昨年の誕生日記録」をチェックするようにしている。

昨年の誕生日に、その人が「〇〇さんのお誕生日です通知」に対して、ポジティブに返答している様子があるなら、僕は迷わずにGo!!をする。

でも、ネガティブなリアクションをしていたりする場合には、そっと「いいね」だけを押して、その1クリックに最大限の「おめでとう」の気持ちを込める。

さらに、あんまりSNSを使っていない風の人に関しては、個別メッセージで、決してテンプレート文ではない、愛を込めたメッセージを送るようにしている。

そして、相手にとって一年に一回しかない貴重な誕生日という時間を奪わないために、必ず最後には「ご返信には及びません」と付け加える。

さぁ、どうだ!ここまですれば、完璧だろう!!??


でも、やっぱり最後にもう一度だけ。まだ解決していない「あの問題」に立ち向かってみようかと思う。

結局のところ、僕は「〇〇さんのお誕生日です通知」がSNSで発信されるようにしたいのか?しないようにしたいのか?という究極の2択問題のことである。

通知が発信されれば、無数に「おめでとうございますメッセージ」が届くことになるから、それなりに「返信をする」という手間を覚悟しなければいけない。

しかし。通知を発信をしない設定にすれば、誰からも「おめでとう」を言ってもらえずに、寂しい誕生日を過ごすことになるかもしれない!?!?

…悩みまくった結果、近年の僕は、次の戦略で対応することを決意した。

もういいよ!自ら「祝ってください」って言ってやる!(ドヤっ)

散々悩んだ結果。そもそも、なぜ僕は「〇〇さんの誕生日です通知」に、毎年振り回されしまうのか?という根本の問題から、向き合い直してみることにした。

そして、その結果。「原因」が判明したのだ。

よく考えてみれば、全ては僕の「他責思考」が原因だった。

SNSの仕様のせいにして、他責思考である自分自身の甘い考え方を認められず、目をそらしていた自分が悪かったのだ。

魚が水の中でしか暮らせないのと同じように。きっと令和を生きる僕ら人間は、もはや、SNSが染み込んだこの新しい世界でしか暮らせない。

だから、考えようによっちゃあ「〇〇さんのお誕生日です通知」が届くことは、もはや自然の摂理。

2階からリンゴを落としたら下に落ちるように、誕生日が来たら「〇〇さんのお誕生日です通知」が届くその瞬間は必ず来る。もう仕方がないことなのだ。

だったら、僕にできることは「〇〇さんのお誕生日です通知」をどう扱うのか?を自分の頭でしっかりと考えて、自責思考を持って判断し、「選ぶ」をすることなんだ。

だから、僕はさらに考えた。

どうしたら、最良の形で「〇〇さんのお誕生日です通知」と気持ちよく向き合えるのだろうか?と。

その結果、僕が辿り着いたのが、「自ら、祝ってください!と言っちゃう作戦」だった。

だって、そもそも「誕生日だから祝ってほしい!」と思っている自分がいるし、

「〇〇さんのお誕生日です通知」が届くことによって「お誕生日おめでとう」を言いたくてムズムズしている人たちがいるのだから、

双方が遠慮なく「おめでとう」というエネルギーを分かち合える状態にした方が、気持ちが良いんじゃないのか!?と考えたわけだ。

そして、今のところ、この判断は正しかったと感じている。

この選択をするようになってから、僕の誕生日は清々しいものになったからだ。

「誕生日おめでとう」というコミュニケーションがきっかけで、久しぶりに会えた友人もいるし、仕事に繋がったこともある。

だから、「お誕生日おめでとうエネルギー」は、風通しをよくして、循環しやすいように心がけておくことがベストだと僕は考えている。


しかし、もちろん、この記事で書いたことは、あくまで僕個人の意見にすぎない。

あなたは「〇〇さんのお誕生日です通知」に対して、どのように対応していますか?

それがどんな答えであれ、あなたが他責思考ではなく、自責思考でしっかりと考えてから出した答えなら、きっと間違いではないと僕は思う。


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