エッセイ|戦略的ボツ日
朝8:00。空はよく晴れていた。
小さなカバンを背負う4歳の次男と一緒に、保育園に向かう。
「パパ、お仕事がんばってね〜」
と、笑顔で手を振ってくれる彼の存在は、僕の生きるエネルギーだ。
あの笑顔を見ると、「よし!今日も頑張るぞ!!」と気合いが入る。
脱サラしてから早6年。
「自営業で生きていく!」と決めたあの日から、「がんばるスイッチ」がONのまま走り続けられているのは、息子の存在が大きい。
だって、いつの日か彼らに「自慢のパパ」と言ってもらいたいから。笑
でもね。
パパも人間だから、どうにも力の入らない日がある。
そんな日はいつも、自己嫌悪に陥る。
「なんで、頑張れなかったんだろう?」とか。
「もっとやれるはずだろう!?」とか。
ついつい、自分を責めたくなっちゃう。
そんなことが続くと、どんどん自己効力感が下がって、自信がなくなっていく。
それは、僕にとって「よくないループ」だ。
そんなことで悩んでいた頃のこと。
昔お世話なっていたコーチの方から、「ボツ日を作ってみては?」と提案をされたことがある。
「ボツ日」とは、その名のとおり、「ボツにする日」のことだ。
生産的な活動を一切やめて、何もせずボツにする日。
「がんばるスイッチ」をOFFにする日。
そういう日を作ることで、じぶんエンジンを停止させ、「いたわる」をすることができる。
でも、息子を保育園に預けて、パパは家でダラダラしても良いのだろうか?
だって本来は、仕事をするために、息子を預かってもらっているはずなのに、ダラダラなんてしたら本末転倒なのではないだろうか??
「ダメな父親」という烙印を押されたらどうしよう。
そんな一抹な不安を抱き、なかなか「没日」を作れずにいると、今度は風邪をひいて、強制的に「がんばるスイッチ」をOFFにせざるを得ない状況が訪れる。
そんな失敗もたくさんした。
だから、堂々とボツ日を作るようにした。
これを僕は「戦略的ボツ日」と呼んでいる。
普段は健康のために食べないようにしているポテチとビール(ノンアルコール)を買い、朝からカーテンを閉め切って、アニメを見ながら、最強にダラダラする。
もうそれはすごい勢いで、ダラダラする。全力ダラダラだ。とても人様には見せられたものじゃない。
気がついたらそのまま昼寝をしてしまい、何時間もの時間(=寿命)を無駄にすることもある。それは、僕にとってはすごい罪悪感を感じる行為だ。
でも、これをやると、すんごいスッキリする。
すると、また気持ちよく走り出せるようになる。
「楽をする」をし続けると、ダメになるけれど。
「労う」もしないと、ダメになる。
僕という人間は、実に不器用でめんどくさい生き物だと思う。
でも、それと同時に、とても愛おしい生き物だと思う。かわいい生き物だと思う。
なんでも、バランスが大切。
たくさん頑張りたいなら、しっかり労う日が必要。
「戦略的ボツ没日」は、僕にとって必要なものらしい。
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