健全の4つの質感。 「フロー」編 (2023年9月コラム)
フロー。流れ。
からだも流れ。血液、リンパ液、からだを満たす体液は、淀みなく流れ、循環している。呼吸も風のように巡っている。
そもそも、からだを構成している細胞たちは、それぞれの組織、場所によって、それぞれのペースで 更新され続けている。数年前とは、からだがまるっと入れ替わっている。
万物は巡る。滞ることなく、流れは続いていく。
そんな流れるからだにとっての支えは、何か具体的な、固体的なものではなく、絶えず移り変わっていくものたちの関係性の中にしかない。
川をつかまえようと、川の構成要素である水をコップですくってみても、そこに川はない。川は流れていてこそなのだから。
でも、あたまは理解したい。わかりたい。それが人間。
そのためには、流れを一旦止めないといけない。
そしてコップの中の水をまじまじと見つめる。
流れが止む。止むことは、病むこと。水も流れが止むと、すぐに傷んでしまう。
病んでいるからだ。止んでしまったこころ。巡ることがなくなり、ずっとそこに居着いて、張り付いてしまって動けない。
そんな時には、あたまの理解を少しお休みして、からだの循環をまずは取り戻す。
少しからだを動かしてみる。締め切っていた窓が開くように、呼吸が入ってくる。
誰かに触れてもらう。つっかえて、堰き止められていたものが、からだの中を巡るようになる。
さらさらと流れてこそ、からだ。軽やかに移ろってこそ、こころ。
流れさえあれば大丈夫。いつまでも流れは続いていく。
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