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人の価値とは

時折、一人になると考えることがある。

一体、人の価値はどこにあるのか?

資産をたくさん保有していることなのか、社会に貢献している時なのか、

はっきり定められていないことである。

まずそのことを前提に話せば、

生きている間に人を卑下したり馬鹿にすることは根拠もない妄言に過ぎない

人それぞれに価値観はあって、それが何を基準にしているかは千差万別。

だがそれは各個人のものであって、全世界共通ではないし

間違えでなければ、正解でもない。

だが世界には、【お金】がその大半を占めている。

それが自分は分かっていながら、あまりこの考えは好かない。

まずお金は、

実際に価値を決めているのは自分たちの妄想であるということ

お札、硬貨には1万円、100円の価値があると信じることで

お金の概念が存在しているのは周知の事実である。

お金は客観的な指標と見えるが、主観的な妄想が生み出した概念

言葉の発達により、意思疎通はできる人間はこのような妄想を

大人数で信じ込み、様々なルールを作っていく。

ほかの動物には簡単なことしかできない。

その差を作り出しているのは、言語の力だと思っている。

複雑な発音を聞き分け理解する能力がほかの動物を凌駕している。

こんなことを考えると、ほかの哺乳類やましてや魚とかに生まれていたら

自分はどんな風になっていたのかと思い、

不思議な感覚が全身を支配する。

少し話が逸れたので戻そう。

最近の私は、お金に対しての考え方が変わった。

就活などが近づいてきて、就職先を考えると周りは年収を気にする。

大体高いところは、大手だったりするもので名声も手に入る。

だが長い人生において、お金は大切だが死ぬときには不要なものになる。

その時に何が自分は一番価値があるのかと考えた。

一番は、家族と友人の存在なのではないのかと。

これは実体験に基づくことがある。

大学で体育会の部活をやっていたが、二年生の時に三年生の先輩が

交通事故で無くなってしまった。

1年の時に試合を共に戦ったりして、一緒に汗を流したいい先輩だった。

病院で昏睡状態。

自分は治って、また部活に来ると信じていたが叶わなかった。

最後の姿を見送るため、部活の全メンバーで行った。

この時、何十人もの人が泣き、別れを惜しんでいた。

20年と少ししか生きてない人生で、その先輩はこんなにも多くの人から

想われているのだと考えたらものすごいことだ。

そのあとに、自分はあとこれから先に何があるかわからないが

数10年は生きるだろう。

その人生で何人の人に感謝されて、最後には泣いてくれる人がいるだろうか

また逆に、何人の人に感謝してその人を思って泣けるのだろうか

そう考えれば、自分はこの先の将来で何をしようと考えるときに

年収やお金のことに、一番の重きをおけないと思った。

その稼いだお金をどのように使って、まずは身近な人を幸せにすることが

できるのかと考えるべきなのかなと。

よく聞く当たり前なことだし、成功者の話を聞けばこのことをよく耳にする

でも実際、何かしらのきっかけがあり考えてみれば

結局はそこに行きつくのだろう。

だからこそ、人の価値を高める方法の一つは

自分以外の人の幸せを考え行動すること

だと思う。

見返りを求めるわけではないけど、

そういう意味で価値のある人間になりたい。





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