異なる円環・大地と太陽・道をゆくこと

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「どうして生かされていなくてはいけないのか」と、大学時代、親友だったTと、大学帰りによくアロームという今は亡き喫茶店でたばこをふかしながら、語りあった。当時の私の実感はほんとうに、そうだった。私は「生きなくてはならないことに決められている」ことが、未来が怖く、辛かったのだった。

ずっと、この先も延々と、こんな日々が日常が積み重ねられていくのか、と。その日常の円環の環に、怯えた。たばこの煙の行末を見つめながら私は、どこへもゆかない私自身の運命を呪っていたのだと思い出す。私たちはこの円環の環から逃れることはできないのだ、そう確かに思えたのだったとおもう。

ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンのことばがいま思い出されてくる。インディアンの世界の円環には大地があり、その大地と共に生きる彼らはまた当時の私のそれとは異なる円環の時間構造の中にあるのだと思われる。「現在化する過去」として、共に在る、この生を保証する遥かな〈生〉の実感覚。

当時の私の円環の時間感覚には近代都市型の「直線的に進行する時間意識」というものが内在化されていたのだと知ったのは、私が大学の3年生かそこらの時のことで、当時の私は毎朝5時に目を覚ましては近所の河原にまで原付を走らせて、ギターをぽろり、ぽろぽろと弾きながら、その空を、見つめていた。

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空を見つめていると、太陽が昇ってくるのが、見えた。そうしてある朝私はかつてない体験としての「世界の円環構造」を体験した。「ああ、この星の、あらゆるのものは円を描いて回っている」。風車から、風車から扇風機から、タイヤの車輪から目から、あらゆるの存在物が、回転している様が観えた。

「世界は、廻っている」それがその時の、その朝の、その生の、その太陽の昇りが、私に光と共に照明/証明してくれた、世界の確かな手触りのある実相であるようにおもえた。そしてまた、「廻っているのなら、だいじょうぶだ」と、初めて、思えた。その〈円〉の中に〈わたし〉も居るのだと、感じられた。

〈世界〉から切り離された単一の「世界」やあるいは単一の「社会への帰属感覚」、機械化された、ベルトコンベアのようにと旋回しつづける、無機的な時間意識の内在化ではなくて、ある種の〈生きられた時〉を、その太陽の光のもとに在るこの身体というトポスのうちに、感得のしたのであろう、と思う。

太陽の向こうにまで行きたいのだと、そう言って歩き続けて、迷子になった人がいた。ヤキ・インディアンのドン・ファンは、言う。知者は、自分がどこへも行かないのを知っている。死ぬべきものであるのを知っている、と。そうして自らの、「心ある道」を、ただ、歩むのだ、と。

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「わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつがずに、目を見ひらいてわしは旅する」ドン・ファン



参考文献:

『気流の鳴る音』真木悠介

『ドン・ファンの教え』カルロス・カスタネダ

『時間の比較社会学』真木悠介

『野生の思考』C・レヴィ=ストロース


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