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西へ向かう

窓の外の雨足がだんだんと強くなり、今年最大の台風が近づいて来ていることは、医局の中にいてもはっきりと感じられた。そんな夜に、当直用PHSがけたたましく鳴り、胸痛患者が救急搬送されるとのことだった。 

搬送されて来た患者は四十代男性。過去に脳梗塞と心臓手術を受けた既往がある。衣服がずぶ濡れだったが、救急現場ではさほど珍しいことではない。胸痛患者は緊急性が高いことがあるので、心電図や心エコー、採血や点滴ライン確保など、検査や処置を問診しつつ同時進行でどんどん行なっていく。一通りの検査を終えたが、明らかな異常は認められず、本人の症状も比較的落ち着いていた。

聞けば、品川からここ(横浜)まで歩いて来たとのこと。理由を聞くと「西の方へ向かおうと思って...」と。身寄りはなく、持ち物は衣類と幾ばくかの現金とそして身分を唯一証明している身障者手帳のみであった。いわゆる住所不定無職であったが、過去に受けた手術のこと、心臓に埋め込まれた人工弁のことなどをとてもよく理解しており、また、その話す口調は脳梗塞の後遺症でやや言葉の出づらさはあるものの、穏やかで品性を感じさせるものでもあった。

検査の範囲ではさしたる異常は認めなかったが、心臓手術の既往と胸痛(そしてこれからさらに荒れるであろう天候)を考慮し、入院して精査することとした。入院後に心臓を中心に精査を進めたが、過去の心臓手術はうまくいっており、(ある意味予想通り)医学的に特に問題はなかった。

彼の不思議なキャラクターにひかれた僕は、入院後のある日、ベッドサイドで少し長く話をした。大阪で生まれ十六歳で家を出て以来、家族とは会っておらず、三十少し手前で病に倒れるまでは夜の仕事をしていて羽振りも良かった。病気になってからは身体も不自由となり、飯場を転々としながらここ最近は千葉にいた。千葉での仕事が終わったので、特に理由はないけれど、とりあえず西の方へ行こうと思い、品川までは飯場の管理人が車で送ってくれて、そこからは歩き続けてきた。入院する三日前からは水しか飲まず、天候はどんどんと荒れていき、夜になって周囲には誰もおらず、そして、杖代わりにしていた傘が折れたとき心も折れた…と。

(僕)「検査で異常もなく症状も落ち着いているから退院だよ。このあとどうするの?」
(彼)「う〜ん…西に向かいます。寿町あたりで少し働いてそれからまた西へ。」
(僕)「西の方って言ったって…。それほど遠くない将来だと思うけど…人工弁の耐用年数が来た時、横浜近辺にいたら僕を訪ねてくださいね。」

退院の朝、普段はもちろんこんなことはしないが、彼と病院の売店に行き、杖と少しばかりのお菓子、そして缶コーヒーを二本買い、退院の餞別とした。

以来、彼は外来を受診することもなく、今どうしているのか知る由もないが、今夜のように雨の強い夜には、こうして時々思い出している。

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※この記事内容はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり実在のものとは関係なく、写真と記事内容との関係もありません。

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