奈良原 裕|心臓血管外科医

法学部を卒業後石油商社を経て再受験し心臓血管外科の道へと進みました。現在、心臓手術を執…

奈良原 裕|心臓血管外科医

法学部を卒業後石油商社を経て再受験し心臓血管外科の道へと進みました。現在、心臓手術を執刀する傍らロシアへの遠隔医療、学童保育活動、医療過疎地支援など多面的に取り組んでいます。綻びかけた命が再び輝きを取り戻す喜びを、時に己の無力さに心を削られる思いを綴っていきたいと思います。

最近の記事

もののけの森へ(後編)

八千穂山荘からオンラインで異業種交流会に参加した私たち3人は、山荘オーナーが準備してくれたおつまみとこのブログで何度も美味しいと絶賛している梅酒「鳴龍」とで、夜遅くまで共に時間を過ごしました。 そして朝、目が覚めるとマーケターの向縄さんの姿がすでにありませんでした。前夜より、向縄さんは翌日に大学院の授業があり早朝に山荘を発つと話していました。私は1ミリも目が覚めませんでしたが、さすが向縄さん、恐るべし鉄の意志です。 さて、朝ごはんをカレー屋ヒゲめがねの豊田さんと一緒にいた

    • もののけの森へ(中編)

      前編では佐久平駅に着いてからまずはレンタカーを借りて千曲錦酒造さんを訪れ、梅酒「鳴龍」を(実は多数)購入。その後、千曲病院に向かい午前・午後の診療を終えました。千曲病院では「循環器科」外来を担当していますが、誰かから引き継いだわけではないので患者さんはまだ数人程度。力あり余ってます笑 さて、外来診療を終えて再びレンタカーに乗り込み、旧八千穂村にある「八千穂山荘」に向かいます。向かう道はメルヘン街道と言い、北八ヶ岳を横断する標高の高い山岳道路です。まだこのとき横浜は残暑厳しい

      • もののけの森へ(前編)

        日頃は都市部で心臓外科医をしていますので、窓もないような手術室にいることが多いのですが、4年ほど前から週に1日、医師不足の地域に診療支援に行っています。これまで新潟県、北海道と続けてきて、その後1年半ほどお休みしていましたが、今年からまた日帰り地域診療を再開しました。 今月から長野県の東信にある佐久穂町という人口約10,000人の町にある町立千曲病院で毎週金曜日に外来診療を開始しています。佐久穂町とその北にある佐久市に最近、友人が移住したこともあり、これもなにかのご縁かと思

        • 佐久穂町に行くことになりました

          医師になって10年間は、特に、心臓血管外科医となってからの7年間はほとんど休まず働いていました。病院滞在時間の割合が90%を超えた月もありました。でも今は、ホワイト心臓外科となりました。10年かけて業務改革を進めてきましたので。 そのようなわけで、4年前から週に一日は病院に行かない日を作ることが出来ました。そこで、その一日は、医師不足で困っている地域で働こうと思い、新潟県十日町市の松之山診療所へ行くようになり、その後、北海道木古内町の国保病院へと続き、1年半ほどの充電期間を

        もののけの森へ(後編)

          西へ向かう

          窓の外の雨足がだんだんと強くなり、今年最大の台風が近づいて来ていることは、医局の中にいてもはっきりと感じられた。そんな夜に、当直用PHSがけたたましく鳴り、胸痛患者が救急搬送されるとのことだった。 搬送されて来た患者は四十代男性。過去に脳梗塞と心臓手術を受けた既往がある。衣服がずぶ濡れだったが、救急現場ではさほど珍しいことではない。胸痛患者は緊急性が高いことがあるので、心電図や心エコー、採血や点滴ライン確保など、検査や処置を問診しつつ同時進行でどんどん行なっていく。一通り

          文系卒一般企業から心臓外科医へ

          こんにちは。奈良原裕と申します。私は現在、心臓血管外科医としてほぼ毎日手術をする日々を過ごしています。noteを始めるにあたり、これまでの経歴や活動、今後の展望などについて書かせていただきます。 文系卒一般企業から医学部へ私は、中央大学法学部を卒業後、石油元売りメーカーに就職し、約5年間勤務したのち退職しました。会社を辞めたのは、自分のやっていることで直接相手に喜んでもらえる職に就きたいと思うようになったからです。そして、医師や看護師、介護士など医療関係の仕事を模索していま

          文系卒一般企業から心臓外科医へ

          順番

          一昨日まで照り付ける陽差しを背負っていた空は、一転して秋雨を引きつれ、冷え込んだ空気は病院で過ごす夜を一層冷たくしていた。 当直用のPHSが病棟での患者急変を知らせ、駆けつけた僕の目に飛び込んできた光景は、ひと目で医学的な手立てが無効なことを悟らせた。 八十八歳女性。一通りの心肺蘇生を行ったが、命はあっけなく目の前を通り過ぎていった。 医師となって学んだこと、命は意外としぶといということ。心臓外科医となって学んだこと、命はあっけないときはあっけない。 患者家族が到着し