技術は〝使いどこ〟が全て
シュートが世界一上手いのはC・ロナウド
抜くドリブルが世界一上手いのはメッシ
運ぶドリブルが世界一上手いのはイニエスタ
パスが世界一上手いのはモドリッチ
ボールキープが世界一上手いのはロナウジーニョ
スライディングが世界一上手いのはカゼミーロ
クロスが世界一上手いのはデブライネ
僕の中でパッと思いつく「世界で1番」
それぞれの技術分野で上手いと思う選手たち。
(技術項目はまだ他にもあるけど)
彼らはなぜ超一流の技術を備えているのか?
または超一流と言われるのか?
それは彼らがその分野で特に秀でた
「結果」を出しているからなんだけど、
他にも世界の一流レベルでその技術を兼ね備える
選手たちに共通点はあるのか?
一流の技術の持ち主の共通点は
「技術そのもの」
のクオリティが高いことは前提として、
技術の〝使いどこ〟を熟知している
ことが一流の絶対的な共通点だと、僕は考える。
例えば
C・ロナウドは左右両足+ヘディングで
ハイレベルなシュート技術を持っている。
しかし彼が毎回、ハーフライン付近から
シュートを打ちまくってゴールが決まるのか?
たしかに彼には超強烈なシュートがある。
しかしハーフラインからも
毎回シュートが入るのか?
メッシの抜くドリブルは
自陣のゴール付近から開始されるのか?
あまり見たことがない。
メッシは勝負時以外はシンプルにプレーする。
スライディングが上手いカゼミーロは
いつでもどこでも
スライディングでボールを奪うのか?
そうではない。
滑らずボールを奪える時は体を当てて奪うはずだ。
サッカーの試合において
自分に得意な技術があるからといって
〝いつでもどこでも〟
その技術を発動できるものではない。
ということを忘れてはいけない。
もっというと
いつでもどこでも
〝発動させてもらえない〟
という方が正しい。
それは場所(エリア)の概念からもそうだし
体力的な面、相手が邪魔をしてくる
サッカーの性質上からもそうである。
何よりチームスポーツで動いている以上
自分の好きなプレーや得意なプレーばかりを
〝いつでもどこでも〟やるヤツは
味方にも信頼されなくなっていく。
なぜならもっと効率のいい方法が
サッカーには複数存在するからだ。
効率のいい方法を遂行できる選手を監督が使えば
自ずと1人でしかプレーできない選手の
出場機会は減るだろう。
C・ロナウドがピッチのどこからでも
シュートを放っていたら
おそらくベンチに下げられるだろう。
ボールを受けたらとにかくシュート!!
シュート!シュート!シュート!ではいけない。
あのメッシでさえも
自陣からパスを出さずに1人で
毎回ドリブル勝負を始めるのなら
前半の途中で交代させられるだろう。
神の子メッシですら
そんなドリブルは攻撃の効率が悪すぎる。
しかし、もちろん彼らはそんなことをしない。
なぜなら自分の技術の〝使いどこ〟を
理解しているからだ。
〝使いどこ〟とは具体的に
①いつ(When)
味方や相手がどんな状況の時
②どこ(Where)
エリアまたはゾーン
スペースがある or ない
の大きく2つが大切な要素である。
これらを理解した時にはじめて
技術は価値を持って発動される。
逆を言うと、これらを理解せずに発動する技術は
サッカーにおいて意味を見出さない。
が、僕の持論である。
変な例えをするが、
ピッチのどこからでもシュートを打つヤツとか
何でもかんでもドリブルで仕掛けるヤツは
学校の授業中に弁当を食うやつと同じ。
もしくは授業中に大声で歌い出すやつと同じ。
もしそれをやると周りに煙たがられるし
今の時代は生徒指導案件だ。
授業中は授業を受ける時間だし
大声で歌うなんて御法度だ。
弁当は昼休みに食べるべきだし
歌は放課後にカラオケに行って歌えばいい。
これらは場所(エリア)を理解せずに
プレーするサッカー選手と同じである。
ちなみにメッシは
昼休みに友達と楽しく弁当を食べて
放課後にカラオケで熱唱する。しかも美声で。
学校や日常生活で例えると少し極端だが
サッカーの試合においても
自分の「やりたいこと」を
「やりたい時」に
「自分基準」でやるヤツは
いずれ消えていくだろう。
サッカーにおける一流選手とは
技術を発揮する場所(エリア)をわきまえている。
というか
学校生活と同じように小さい頃から
〝教えられている〟のだ。
「いつ(When)」「どこ(Where)」を基準にして
技術の使いどこを見極めるのは理解した。
ではそれを〝見極める時〟には具体的に
何を認知して技術を発揮すればいいのか?
それは
「相手」と「スペース」
である。と僕は考える。
これらは技術と絶対に切り離せない2つだ。
もちろん「味方」も重要だが特にこの2つが
最初に認知すべき最重要項目だと僕は考える。
よく日本サッカーでは
「ゴール」「ボール」「相手」
「味方」「スペース」の5つを
常に見なさいと教えられ、
決まり文句のように使われる。
「いや、多いな…
そんなにたくさん見れないよ…」
僕が小学6年生で初めて感じた時の印象だ。
ゴールが動くことはないのだから
シュートを打つ時以外は
わざわざ意識して見る必要はないし、
ボールなんて見ない瞬間があっても
間接的に常に見ているのだから
意識する必要もない。
味方もだいたいどこにいるかはわかる。
だとすれば優先順位の高いモノは何か。
絶対に外せないものは
「相手」と「スペース」の2つだと気づき、
指導者になった今では特にこの2つ次第で
プレーの解決策を出すべきだと
子供たちには伝えている。
ここからは「相手」と「スペース」が
認知できていない時に起こる
よくあるミスを具体例に挙げて説明する。
例)ドリブルが得意な右利きの赤⑩A君が
この状況になった時。
A君から見て相手の青③が右側に立っていて
その中央にも青⑤と青⑥のカバーがいる。
A君の左前方にはスペースがある。
ここで「相手」と「スペース」を
両方認知し、技術のある赤⑩の選手なら
当然左前方にドリブルで抜いていくだろう。
(抜きに行こうとするだろう)
しかし、技術はあるが
「相手」と「スペース」が認知できていない選手は
得意な右足の右側へ突っ込んで
ボールを奪われてしまうだろう。
これは「相手」と「スペース」が基準ではなく
「自分(得意なこと)」基準でしかプレーできない
選手の典型的なミスである。
これが「技術はあるが認知と判断ができない」
ということだ。
こういうことは小学生で日常茶飯事で起こる。
いや、
「右に行っても技術があれば抜いていけるだろ」
そういう話ではない。
じゃあそれ、レアルマドリードの
同い年相手にやってみてくれ。
ここでは確率論。
そしてセオリーは何かということである。
本当に技術が高い選手はこのセオリーを
まずは忠実に認知・判断し、実行できる。
自分の得意なプレーしかできない選手は
得意な方にしかドリブルできず、
結果的にチャンスの確率を下げてしまうのだ。
もう1つよくあるエラーの例を挙げる。
例)赤⑨が右サイドからドリブルで攻めている。
中には赤⑧がフリーでゴール前へ走り込んでいる。
赤⑨が相手とスペースを認知できる選手なら
迷わず中央の赤⑧へラストパスを送るだろう。
メッシもこのタイミングでは絶対にパスを選ぶ。
〝自分のドリブルが世界一上手い〟としても。
しかし、これが中央の赤⑧の味方、
さらには対峙する相手青③と
その奥にいる青⑤のカバーまで認知できなければ
またも自分のやりたいドリブル突破を優先し、
結果的にクロスを上げられるかもわからないし
クロスを上げられたとしても青④が戻ってきて
守られてしまうかもしれない…。
このように
いくら技術があっても認知や判断が
めちゃくちゃな選手は
プレーが成功しづらくなる。
「今」技術とスピードだけの優位性で
勝っている小学生は要注意だ。
認知と判断も同時に鍛えなければならない。
逆に技術が低くても認知と判断が
抜群にいい子は存在する。
僕はそんな選手に光る才能を感じてしまう。
これらの理論を踏まえても
技術とは
〝認知と判断〟が組み込まれた中で
繰り出されるモノが本物
ということだ。
最後に。
個人的な感覚だが、自分は小さい頃から休みの日も
ひたすら家の近くや公園でボールを蹴り、
1人でパスやキック、ドリブルをかなり磨いた。
だけどモドリッチやイニエスタの方が
圧倒的にパスやドリブルが上手い。
でも、モドリッチやイニエスタが
僕ほど壁にボールを蹴ったり
コーンドリブルを練習していたのか?
推測だが、それに関しては僕より
「やっていない」と思う。
彼らと練習量を比べたいとかではなく、
この僕の負け惜しみの言葉の中に
日本と世界のサッカー上達の仕方の
ヒントが隠れている。
日本人は努力家だから
きっとみんなも練習量は凄いだろう。
でもどれだけ壁にボールを蹴ってパス練習をしても
モドリッチのようなパスはできないし、
どれだけコーンを抜いても
イニエスタのドリブルはできないのである。
練習内容に直結する話だ。
「どのように技術を磨くのか」
本気で日本人が考えるべき課題である。
カッコいい足技、華やかなフェイント、
ひたすらコーンドリブル、
敵のいない中で30分間のパス練習。
毎日毎日足がボロボロになるまで
ボールを壁に蹴るのか。
死ぬほどコーンを抜いてドリブルを磨くのか。
ぜひ、やってみてほしい。やり続けてほしい。
ちなみに僕はそれを12年間本気でやったけど
モドリッチよりパスは下手だったし
イニエスタのドリブルもできなかった。
もちろん意味がないとは言わない。
そんな圧倒的「量」思考の日本人は
練習量は世界にも負けていないはずだ。
しかし、努力量=サッカーの上達
ならば日本サッカーはとっくに世界一を狙える。
FIFAランクもトップ10にいてもいい。
でも現実はまだ程遠い。
つまりサッカーは
そんなに甘くなく、簡単ではなく、
複合的なスポーツということである。
「どこに差があったのか」
「どのように複合的なのか」は
指導者になって欧州のメソッドを学んで
サッカーを客観的に理解した今ならわかる。
どんなにボール扱いが上手くても
高い技術を持っていても
結局、相手がいる中で
技術の〝使いどこ〟を知らなければ
意味がないのだ。
ここを理解しているかが、
これから「伸びる選手」と「伸び悩む選手」の
境界線だと、僕は思う。
本物の技術を磨き、発揮し、
本物のプレーをしよう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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