近内悠太

1985年生まれ。教育者。哲学研究者。専門はウィトゲンシュタイン哲学。『世界は贈与でで…

近内悠太

1985年生まれ。教育者。哲学研究者。専門はウィトゲンシュタイン哲学。『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(NewsPicksパブリッシング刊)2020年3月13日発売。https://www.amazon.co.jp/dp/4910063056/

最近の記事

群像にエッセイを寄稿しました(全文公開)

「群像」2020年11月号(2020年10月7日発売)に掲載された「天文学的比喩としての他者」の全文です。ご許可をいただいたので、note上に公開いたします。 天文学的比喩としての他者  光の速度が有限であると科学的に認められたのはいつだろうか? よくよく考えてみると、ここには途方もないものが潜んでいる。光というあまりにも速すぎる対象をどのように測定したのだろうか? それまで無限であるとされていた光の速度が有限の値であることを史上初めて示したのは、デンマークの天文学者オー

    • 贈与の差出人のライフハック

      このnoteは、僕の著書『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』に入れられなかった文章や、関連する考察を中心に更新しています。記事を気に入って下さったら、書籍もお読みいただけるととてもうれしく思います。 出版してから、読者の方々から直接感想や質問をもらう機会が何度かありました。 その中でも僕自身、返答に困ったのが、「贈与の差出人になりたい場合はどうすればいいですか?」というものでした。 僕の回答は、ひとつです。 贈与の差出人になりたかったら、受取

      • 愚者は学習し、賢者は勉強する:なぜ僕らは思考をアップデートしなければならないのか?

        このnoteは、僕の著書『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』に入れられなかった文章や、関連する考察を中心に更新しています。記事を気に入って下さったら、書籍もお読みいただけるととてもうれしく思います。 きょうは、今すぐ役に立つわけではない話を書きます。 目の前にあるものを見つめ続けるだけでなく、少し遠くをちらっと眺めることも僕らには必要だからです。 なぜ僕らは勉強しなければならないのか? 本の中でも、この問いに対する一つの回答を提示しています

        • なぜ「サザエさん」は日曜夜に放送されるのか問題

          このnoteは、僕の著書『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』に入れられなかった文章や、関連する考察を中心に更新しています。記事を気に入って下さったら、書籍もお読みいただけるととてもうれしく思います。 日曜日の夜って、憂鬱ですよね。 一週間がリセットされ、次の一週間がやってくる。些細なサプライズはあるでしょうが、明日からまた、変わらない毎日を送ることになる。 それでもアニメ「サザエさん」の登場人物たちの生活に比べれば、まだましなような気

        群像にエッセイを寄稿しました(全文公開)

          レヴィ=ストロースが見た「社会のささやかな連帯が生まれる瞬間」

          このnoteは、僕の著書『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』に入れられなかった文章や、関連する考察を中心に更新しています。記事を気に入って下さったら、書籍もお読みいただけるととてもうれしく思います。 文化人類学者・哲学者のクロード・レヴィ=ストロースは主著『親族の基本構造』の中で、フランスのこんな風景を取り上げています。 ワインを注ぎ合う南フランスの、決して高級ではない大衆食堂。この店では、ワインの料金があらかじめ食事代に含まれており、客一人に

          レヴィ=ストロースが見た「社会のささやかな連帯が生まれる瞬間」

          『サピエンス全史』に見る贈与の起源

          このnoteは、僕の著書『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』に入れられなかった文章や、関連する考察を中心に更新しています。記事を気に入って下さったら、書籍もお読みいただけるととてもうれしく思います。 前回の記事の最後で、僕は「贈与という慣習は人類の生存戦略だった」と書きました。贈与は、生物種としては決して強くない人類が偶然手にした「戦略」だったのです。 ヒトの「早産」が贈与を生んだ話は、ホモ・サピエンスが直立歩行を始めた瞬間までさかのぼります。

          『サピエンス全史』に見る贈与の起源

          トイレットペーパー騒動と「贈与」の話

          なぜ僕らは「贈与」について考えるべきなのでしょうか。なぜ、お金で買えないもの、見返りを求めず何かを差し出すという「贈与」が、僕らに必要なのでしょうか。 この問いに答えるために、この記事では最近注目を集めた1つのツイートを題材に、「贈与の構造」を考えてみたいと思います。 しほの@婚活アカ | @shihon029 先程本当にトイレットペーパーが家に無くなり、ドラッグストアで辛うじて最後の1つをGETしたのが私なんだけど、レジで「もうトイレットペーパー無いですよね…」って聞い

          トイレットペーパー騒動と「贈与」の話

          「別の見方」へ誘うこと‐‐『世界は贈与でできている』刊行によせて

          初めまして。近内悠太です。先週、『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』という本を上梓しました。 僕は、大学の学部では数学を、大学院では哲学を学びました。数学と哲学を学んだ人間がなぜ、「贈与」(=お金で買えないもの、見返りを求めず何かを差し出すという行為)についての本を書いたのか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。自己紹介も兼ねて、そのあたりを書いてみますね。 数学だけが「自分の手で確かめられるもの」だったまずそもそも、なぜ僕が数学を学んだ

          「別の見方」へ誘うこと‐‐『世界は贈与でできている』刊行によせて