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主導権が自分にあるか

社会人になってまだ数年しか経っていない自分のような未熟者でも、学生の時とは社会の見え方が変わってきてるのが分かる。学生の頃の自分で作り上げたイメージに頼った見え方と、社会に出て現実に触れ、イメージが壊され、また再構築していく中で見えてくる社会像。

多大な期待感を持って社会に出たらすごくがっかりするかもしれないし、働きたくないという絶望感と共に社会に出たら悪いことばかりじゃないと感じるかもしれない。絶対的な良い悪いはないというのに遅かれ早かれ気づく。

働く意味と目的は人それぞれで、正解はないけど、もし働くのが苦痛だと一生のうちかなりの時間をそれに費やすわけだからしんどい。あんまり真面目に捉えすぎるのも考えものだけど、少しでも楽しく働きたいとはみんな思ってるはず。それでこういう考え方もあるんじゃないかなというのを一つ。

それは主導権を常に自分に持つこと。上から言われたことをやらされている、会社の方針や上司の指示に従わされている、仕事に追いかけられている。こんな考え方の状態で仕事をすると働くのが苦痛になりやすい。これは多分どんなところで働いていても起こりうることだと思う。

この状態のまま年月が経過すると、会社や上司の言うことだから仕方ないという諦めとか、言われたことだけやっておこうとか、サボろうとかそんな思考に頭の中は支配されやすくなる。それが分かってしまう人って傍から見てお世辞にも成果を出してくれそうとか何かやってくれそうとか思えない。

じゃあ主導権を自分に持つってどういうことかというと、発想を変える、ただそれだけ。どう変えるかと言うと

やらされている→自ら選んでやっている

従わされている→明確な意図を持って従うことを選ぶ

仕事に追いかけられている→仕事を追いかけている

こんな発想に切り替わるだけで、自分の場合、何か自然とエネルギーが湧いてきて、以前より自分で考えて自分で判断して、自分から行動できるようになった。会社や上司の指示に従わないという選択肢は実質取れないかもしれないけど、主体は自分であって、あくまで自分で決めているんだと思えれば苦痛はだいぶ和らぐんじゃないかと思う。最初は抵抗あるけど、思い込むだけでもだんだんと本当にそう思えるようになっていく。

というか主導権はいつもすでに自分にあるんだけど、周りに振り回されてる時ってそれを手放してしてしまってる という方が正しいかもしれない。でもその時はまた掴んで自分に引き寄せればいい。働くことに限らずいつでもどんな時でも「主導権は自分にあるんだ」って思いながら。



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