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夫婦の愛と苦悩と優しさ

父はとても自由な人だった。

家業を継いで仕事が休みのとき、夏はキャンプ冬はスキーととにかくよく動き、遊ぶ人だった。

母の話では、酒癖も悪く、帰路の途中で力尽きて家の前で寝ていることも若い頃は多々あったらしい。

物心ついた時からそんな父が僕は嫌いだった。家族に厳しく、時には怒鳴り、暴力もあった。絵に描いたような亭主関白な父だった。(家の前で蹴られ、言うこと聞かないと追い出されることもあった。)

小学生のとき、学校の宿題か何かで「名前の由来を聞いてみましょう」という機会があり、家に帰って母に聞いてみた。

母は少しためらった表情で言葉を発してくれた。

「お父さんはね、豪太とか健太とか剛とか、なんか強そうな名前にしたがってたの。」

「でも、優を妊娠した時に、二人目だからか以前よりお父さんが無関心でね、身体がしんどい時も外に飲み歩いたり休日は遊びにいったり、2歳の子の面倒もみてくれないで、大変だったの。」

「その時に思ったの。優しい子に育って欲しいなって。だから優にしたんだよ。」


この言葉は絶対に忘れないと思ってる。

当時の僕は父を嫌いだったし、こんな大人になりたくないとすら思ったこともあった。

それでもなんで母は一緒にいるのだろう。とも思っていた。

ある日聞いてみると、

「子どもたちがいなかったら絶対に離婚してるわよ〜」

と笑いながら言っていた。

子どもの僕にも存在理由があったんだと思い、少し嬉しくなった。頑張ろうとも思った。


月日は経ち、僕は25歳になった。4人兄妹の上3人が抜けたどこか寂しい実家に帰る。

母は「また帰ってきた。」と面倒そうに言う。
父と僕の会話はほとんどない。

でも、夫婦は昔より仲良くなっている気がする。子どもたちがいなくなって、二人の時間も増え、「老後はどこに住もう」とか「次はどこに旅行にいこう」とか。不思議なものだ。

たまに父と会話をすると、あの時の厳しさは、ある種の「優しさ」だったのかなと今だから思える。


母の持っている暖かく、丸く、包み込むような「優しさ」
父の持っている冷たく、トゲトゲした、厳しい「優しさ」


そんな、自分の名前が好きです。

素敵な名前をありがとう。


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