見出し画像

年末年始は白昼夢のように

年が明けて早くも1週間あまり。2022年も時間の駆け足はとても速い・・・やりたいことはいったいどれだけできるだろうか・・・などと年始早々ちょっと不安になる。

ことし最初のnoteはゆっくりスタートになった。

◆◇◆

昨年末、2年ぶりに帰省した。

正確には2年前の年末年始はわたしは留守番(猫番)で、家族が実家めぐりをした。その直後の1月上旬、わたしは大阪に出張。そのときにひとり実家に寄った。

昨年は緊急事態宣言で移動を自粛したから、正確には、大阪出張のついでに立ち寄った時からかぞえて2年弱ぶりの帰省ということになる。子供たちはきっかり2年ぶり。

今回は妻が留守番して猫たちの世話をした。帰省はわたしが子供たちをつれて新幹線で移動。いろいろと用事があったので、結局2泊3日の日程になった。

東京は快晴だったけど、出発の数日前には全国的に大雪だった。以前わたしの祖父母が住んでいた彦根市では、とくに記録的な積雪だった(平年の36倍!)。ひこにゃんのツノだけが雪からのぞいている報道写真にはおどろいた。祖母は数年前に他界したのだけど、もしも祖母の存命中にこんな大雪が降っていたら大変だったことだろう。

新幹線の車窓からは、岐阜羽島あたりから雪が見えて関ヶ原は真っ白。子供たちのテンションがあがる。近江八幡あたりから雪が消えて、このあたりが降雪の境界。京都に着いたら、雪はまったくなかった。実家にいた頃の冬がそんな感じだったのを思い出した。

実家では、まず中学生の長男の成長ぶりが話題に。成長期に2年間のブランクはおおきい。そして、次男は従兄弟たちと再会して大喜び。従兄弟たちも大喜び。はしゃぐ次男と従兄弟たちを横目に長男はひとり数学の宿題をしたり。さすがに小学生と中学生では温度差がある。

実家には何年か前に川で捕獲したニホンイシガメの”カメ子”がいる。室内飼育なので冬眠させていないとのこと。昨年最後の一日一画に、成長したカメ子を描いた。捕獲した時以来のカメ子のスケッチ。

そういえば、クサガメが多かったけど、わたしが子供の頃にはしばしば田んぼでカメを捕まえた。ところが飼育しようとしたものの、冬眠に失敗して死なせてしまった。冬眠させないという選択肢もあったのか。かわいそうなことをした。

2年ぶりだといろいろと変化がある。実家には淡水魚が増えていた。メダカにグッピー、そしてプレコ。メダカ水槽にはこの秋に孵化した稚魚も。グッピーの水槽にはヌマエビも居た。プレコはナマズの仲間。はじめはグッピーとおなじ大きさだったというプレコは、どんどん成長したので別水槽に入れられていた。

実家の淡水魚たち。左上:メダカ、右上:メダカ稚魚、左下:グッピー、右下:プレコ。

大晦日の日中から雪が降り出した。うっすら数センチの積雪だったけど、子供たちが小さな雪だるまをつくることができるぐらいには積もった。それだけでもじゅうぶんだ。

左:大晦日に降り出した雪。右:小学生たちの力作。

次男の冬休みの宿題に、お雑煮と正月料理について記録しましょうというのがあった。昨年とちがって、わたしの実家に帰省しているのでしっかり記録できる。この課題が今年でよかった。昨年はお雑煮をつくってもいない。

わたしの実家は滋賀県大津市。父方の祖父母がいた彦根のやりかたで、白味噌仕立てのお雑煮だ。お雑煮は全国各地で個性があっておもしろい。白味噌仕立てのお雑煮は、滋賀と京都のスタイルらしい。

お餅のほかに、県産のかぶら、サトイモ、そして鰹節がはいる。妻の実家の愛知県はすまし汁のシンプルなお雑煮らしいけど、妻はこの白味噌のお雑煮がかなり気にいっていた。今年は食べられなくて気の毒だ。

わたしの実家のお雑煮。底にお餅が沈んでいる。

この写真のお雑煮は、器の大きさに対してほんのちょっとしか入っていない。じつは、わたしはお餅が苦手なので、いつも減らしてもらっていた。ほかの家族のものはもうすこし多めに入っている。

ちなみにこのお雑煮は次男坊が気に入って、お代わりしていた。長男は食べられず。ふだん食べ慣れないものだと、どうしてもそういった差ができてしまう。

次男と従兄弟たちはもう一泊したがっていたけれど、なんとか説得して元日に帰途についた。2日以降は新幹線の指定席の予約が取れなくなっていたので、その点でも元日に戻って正解だった。

日中もまだ雪が舞うなか出発。京都から新幹線に乗って、夢から覚めるように車窓から雪が消える。東京に着くころにはもう日没後。

元日でも混み合う東京駅。わたしと子供たちは駅ナカの中華料理店にはいって夕食をとった。中華だけど日本国内の新鮮な食材をつかった、とても美味しいラーメンだった。

グランスタ内にある南国酒家47chinaさんにて。わたしが注文したのはこの酸辣湯麺。

混雑した東京もラーメンもわたしにとっては日常だけど、子供たちにとってはまだ非日常の世界がつづいている。レストランが並ぶ空間がまだ駅の改札のなかだと知って驚いていた。それに、南国酒家さんのラーメンの美味しさに感激していた。家に帰るまでは夢のなかのような感覚だったのかもしれない。

2日以降、子供たちは冬休みの宿題の残りや書初めをして過ごした。長男は部活動もあった。夢からは完全に醒めた。わたしも仕事関係の調べものをしたり、旗章学の編集作業をしたり。noteを更新するいとまもなく、仕事がはじまった。

年末年始の全国的な大雪からは取り残されたように晴天だった東京周辺。休みが明けての1月6日、今度は関東地方で大雪になった。昼前から風花かざはなが舞いはじめ、本降りになった。あれよあれよという間にまわりが白くなって、帰宅時にはもうかなりの積雪。交通麻痺が心配になるような降り方だ。電車はいつもより混雑していた。

帰宅したら、予想どおり次男が雪遊びしていた。滑り台をつくっているそうな。いったんは現実に戻った冬休みだけど、まだ夢はつづいていたみたいな感覚だろうか。

翌朝には雪は止んだけど、気温は氷点下。路面がアイスバーン状に凍っていて危ない。今回の見出し画像は最近描いた近所の公園。朝の通勤時に撮影した。雪化粧は美しいけど、ツルツルに滑るので近寄れない。

滑らないように注意しながら歩いていると、10年前のモンゴル生活を思い出す。気温が低いので、雪は降っても溶けないパウダースノウ。押し固められた雪が氷になり、スケートリンク状態に。凍った川は歩いてわたった。

せっかくなので、当時の絵をいくつか紹介する。これらはモンゴルを離れる直前に、個展「ウランバートル冬景色」で展示した作品。

長男を幼稚園におくる道すがら。野犬の群れによく遭遇した。

スフバータル広場。パウダースノウは砂のように積もるので、市の職員さんがほうきで雪をよける。

凍ったセルべ川。川の氷に触れると暖かく感じるのが新鮮だった。

マンホールの下は市内の集中暖房用の配管のため暖かい。マンホール付近で暖をとる野良猫がたくましい。

郊外のバス停。おしゃべりしながらバスを待つ女性たち。日中でも-30℃や-40℃にもなる厳しい寒さだけど、モンゴルのみなさんは元気だ。そのバイタリティに感銘を受けて、これらの絵を描いた。

今年の話に戻す。

雪のあしたは孫子の洗濯。ことわざどおり大雪の翌日は快晴だった。だけど、この時期なので日陰にはまだ雪も氷も残っている。次男のつくった滑り台も残っている。

このnoteを書いている週末は成人の日があって三連休。1年はじめのスタートダッシュというよりはまだウォーミングアップの感覚でいられるのがありがたい。

たまたまTwitterで雪にまつわる動画が流れてきた。アルジャジーラのアカウントがサウジアラビアの積雪の様子を伝えたもの。降雪を祝う男性たちと子供たちがとても楽しそう。

めずらしく大雪となった2022年の年始。どうとらえるかは人それぞれ。どうせなら、このサウジの男性たちみたいに楽しくとらえたい。もしかしたら、素晴らしい1年になるかもしれない。このアルジャジーラの動画を観たら、なんだか良いことがありそうな気がしてきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?