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【1】Endless SHOCKに700回出演し続けた「落合佑介」というダンサーのお話

こんばんは!
落合佑介です。

普段は僕のことをすでに知ってくださっている方向けに色んなnoteを書いているのですが、今回は時系列順に僕の「今までの人生」について振り返ってみようかなと思います。


これを読めば僕の全てが分かるといっても過言ではありません。


経歴だけではなく、どんな考えで生きてきたのか、何故その選択をしたのか、価値観の部分までお話できればと思っています。


僕は普段オンラインレッスンを中心に行っていますが、画面越しのレッスンだけではなかなかそういった部分まではお伝えできていません。

このタイミングで自己紹介、経歴をお話するのも変かもしれませんが、いつも応援してくださっている方にはもちろん、まだ僕を知らない方々にもこのnoteから僕のことを深く知っていただけたら嬉しいなと思っています。


すごく長くなる気もするので、何個か記事を分けて書いていこうと思います。
よろしければお付き合いください。


ダンスを始めるきっかけ

僕がダンスを始めたのは5歳のとき。

母に連れられてダンススクールの体験レッスンに行ったことがきっかけです。
よく覚えていませんが、体験レッスンの後「やってみる?」と母がいたところ「やってみる!」と言ったそうです。

母は当時EXILEのHIROさんが入っていたZOOというグループを見て、そのグループみたいに踊れるようになってほしいと僕を入れたそうです。


もちろんダンス教室に入れた理由はそれだけではなくて。

僕は元の性格がシャイで根暗なんですね。
ダンスやってなかったら人間終わってたくらいに笑

新しい場所やコミュニティに入っていくのが苦手で(今もそれは変わりません笑)、体操教室では母の膝から離れなかったそうです。

だからそんな僕を鍛えるために通わせることにしたのだと思います。

母のスパルタレッスン

ダンス教室に入ってからの僕はいつも教室の後ろにいて、振り付けも覚えられない、最後の発表の時間では全く踊れず棒立ちで終わることがほとんどでした。

初めての振り付けの曲は今でも忘れられません。

V6『TAKE ME HIGHER』


振り付けが覚えられないので家に帰って「なんでできないの?!」と母に怒られながら練習。 
簡単なステップさえできない、そして振り付けも覚えらないのでもう毎週泣きながら練習していました。

イントロを聴くと今でも少し心がザワッとします笑


今でこそダンスが習い事の定番になっていますが、僕が子供の頃は男がダンスをやるなんて…みたいな考えが割とオーソドックスな時代だったと思います。

今みたいに男性アイドルがかっこよく踊るなんてことはあまりなかったので、ダンス=バレエだと思われていたし、バカにされるため周りの友達には言えませんでした。

小学校に入ってからは同じダンス教室に通う友達もできたので周りにも言うようになりましたが。


毎週月曜の夕方にレッスンがあり、家に帰ってからも母と一緒にダンスを練習。

へとへとになって『名探偵コナン』を見ながらカレー食べていた記憶があります。


当時の本音としてはやめる!とは言い出せないのでひたすら毎週通うような感じだったのかと思います。

割と習い事は多くやっているほうでしたが、大嫌いな水泳でさえやめたいとは言い出せませんでした。(ちなみに今でも泳ぐのはあまり得意ではありません笑)

とことん水泳に対するやる気がないので永遠にクラスは上がれず、一緒に始めた友達からは取り残され自分だけずっと1番下のクラスにいました。


そう思うと毎週欠かさず練習していたダンスは無意識で好きだったのかもしれません。


子供の頃のメンタリティ

当時はとにかく自分はできていないとずっと思っていました。

もちろん母にいつも怒られながら自主練していたからというのもありますが、元々自分の価値観として自分はできていないからダメだ、となってしまうタイプでした。

人によっては技術的にはできていなくても本当に楽しそうに、初めてすぐ何かに熱中できる人もいるかと思います。

ですが僕は自己肯定感が低かったのでずっとできないことで自分のモチベーションが下がり続けていました。

でも今思うと母はそんな僕にずっと熱く指導してくれていて、感謝しています。


ダンスへのスイッチが入った瞬間

小2の時だったと思いますが、ある日突然ブレイクスルーした瞬間がありました。

それまで一番後ろでずっと振り付けを覚えられなかったのですが、いつの間にかスクールの上手い子のグループに混ざり振り付けを覚えて踊っていたことに気づきました。

僕が通っていたスクールはイベント出演がすごく多かったのですが、GWに名古屋駅の駅前で毎年開催されるイベントがありました。

それはステージが狭いため出演人数の制限があり、スクール内で出演者を決めるオーディションがあったんです。

毎年落ち続けていたのですがある年、そのオーディションに合格することができました。

そこで自信が付き、さらにダンスが上手な子達と仲良くなり始めたこともきっかけで、ダンスへのスイッチが入りました。


小3になる頃には教室の1番前で踊っていました。

継続は力なりという言葉がありますが、まさにその通りだなと思います!


学校や他の習い事との両立

小学校2年生から塾に行き始め、中学受験のための勉強もしているので、途中からは成績も良く両立は普通にできていたと思います。

僕は前述した通り、自信がなくていつも母から離れられない、マイペースな子供だったんです。

だから母には公立に行っても内申点が悪くなると思われ、中学受験をした方がいいんじゃないかと思われていました笑


僕も自由が好きで、必要以上に縛られることが嫌いだったので、私服OKな中学を目指しました。

受験勉強と同時にダンスも一生懸命続けていました。


子供の頃の物事に対するモチベーション

これは子供だから、とかダンスだから、とかはあまり関係がないと思うのですが、僕はとにかく明確な目標があると一気にやる気が出て、異様に努力ができるタイプでした。

例えば10歳の時にスクールの発表会があったのですが、上のクラスに行くと当たり前に真ん中でメインの振り付けを踊ることができる。

でも上のクラスに行くにはオーディションに合格しないといけなくて、オーディション自体が3ヶ月に1回しかないので実力ではなく物理的に間に合わずものすごく悔しい思いをしたり…

でも明確に「上のクラスの憧れのお兄ちゃんたちみたいになりたい」と思っていたのでどこまででも頑張れました。


またその頃から憧れのお兄ちゃんの中から「ジャニーズJr.」に入る人も出てきたんです。

僕がそれを見て火がつくのは必然というか、当たり前のように「僕も入るんだ!!!」と思うようになりました。

ダンスだけでなく、受験も行きたい学校があったのでダンスと両立しながら頑張れました。

というか、勉強もダンスもできるのがかっこいいんだと思っていました。

当時ジャニーズに憧れマックスだった僕は慶應大学に通いながら勉強とアイドル活動を両立する櫻井翔くんに憧れていました。

自分がかっこいいと思う人がやることはなんでも真似して試していました。


次回はそんな僕が実際にジャニーズを目指して、活躍していた頃のお話をしたいと思います!

夢を叶えるために必死になって練習して、今思うとすごくキラキラした子供時代だったと思います。

僕の人生振り返りnoteはまだまだ続きます!
引き続き読んでいただけると嬉しいです!

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