「自己実現」と「承認欲求」―既存SNSは終わらない。
「自己実現」とは何だろう?
<夢を叶えること>と言ってもいいのだろうが、私は<なりたい自分になること>ではないかと思う。いろいろな意見はあるかと思うが、大筋ずれてはいないだろう。仮にそうだとしたら、「なりたい自分とは何か?」という問いに答えなければならない。
「自己実現欲」ということで言えば、マズローの五段階欲求説によると最終段階ということになる(その後、その先があると語ったと言われているが、一般的に認知されているのは五段階なので、ここではそれを踏襲する)。
つまり、「自己実現したい!」と思っている段階まで来ている人は、人口比率で見ても、数としては少ないと思われる上に、「あなたは何になりたいの?」という問いに答えられる人は、もっと少ないだろう。
私自身は、ずっと「自己実現欲」が高いと思ってきた。そして「なりたい自分」なるものも持ってきたつもりだ。そしてそのために、自分なりにこうすれば「なりたい自分」に近づけるのでは、と考え、行動している。おそらく、多くの「自己実現欲」を持つ人は同様だろう。
仮に「なりたい自分」の構成要素として、<社会的地位の確立>が含まれている場合、今の時代においてSNS上でのプレゼンスを獲得することは必須であると言っていい。もっと言えば、何かをやろうとするにあたって、大抵の場合SNS上のプレゼンスを持っていることはプラスにしかならない。
SNS上でのプレゼンスを得ているということは、既存SNSでフォロワーが多い、とか、いいねやRT等の反応が得られることが必要であるし、そこから何らかの行動を取らせることが必要だろう。いわゆるエンゲージメントが高い状態をつくることになる。これは、TwitterやFacebook、Instagram等の既存SNSにおいて、そうしたプレゼンスを獲ることが重要である。なぜなら、これはイコール、社会的影響力を持つということであり、より多くの人に行動を起こさせることが出来るようになるからだ。
なりたい自分になるには一人で実現できない。一人で実現出来るのなら、さっさと実現してしまえばいい。他の人を動かす必要があるから実現は難しいのだ。ならば、今の時代、人を動かす手段としての既存SNSは重要なツールである。
SNSでプレゼンスを高める行動は、往々にして「承認欲求」による行動だと捉えられがちである。実際、ただ「いいね」が欲しいがために流行りのスポットに行き、流行りの食べ物を食べ、”映える”写真をアップすることに必死になる人も多い。こういう人は、完全に「承認欲求」に基づいて行動しているということになる。
しかし、「自己実現」という目的を持っている人にとって、社会的影響力を持つためにSNSでプレゼンスを高めることは「承認欲求」の要素も含まれるだろうが、方法論としてやっているだけである。
よって、既存SNS=承認欲求を満たすだけのもの=終わる、とはならない。
「承認欲求」を満たしたい人は満たせばいいし、「自己実現」の手段として活用したい人は活用すればよいのだ。
もはやある種の"マスメディア”となっているSNS、そしてそれも含むGAFAへの危機感のようなものが語られることが増えているが、一方でそれはインフラとして活用する意義がある。今から、完全にGAFAに取って代わるサービスを作ろうとするならば、もう一段のイノベーションが必要だろう。つまりWorld Wide Webとしてのインターネットとは別の環境が必要となるのではないだろうか。それは非言語コミュニケーションの手段かもしれないし、スマホに代わるデバイスかもしれない。FacebookやTwitter、Instagramを打倒するのであれば、そこからイノベーションを起こすしかない。
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本noteは、国光宏尚さんのnote「僕はインスタやFacebookがそろそろ終わると思っている」を読んで勝手にアンサーnoteとして書かせていただきました。国光さんの取り組みや「フィナンシェ」は、まさに自己実現の仕組みとして期待していますし、ぜひサービスが広がっていただきたいと思っています。
私も、別の切り口・テーマとなりますが、「自己実現」のためのサービスを準備していますので、もっとこうしたサービスが世の中に増えることを祈っています。
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