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いつの間にか手段が目的化している

こんばんは、福田です。note119本目です。

気づいたら手段が目的化してしまうことってありますよね。目的があって始めたこと、行っていること自体が、いつの間にか目的になっている。

例えばnote。noteで書籍化されるような記事を書く。を目的で始めたとします。初めたばかりのタイミングでは当然自分のnoteに気づいてもらえる可能性は低いので、まずは読んでもらう人を増やすようにしていくとします。

そこで、毎日noteを投稿すればフォロワーさんも増え、スキの数も増えるという相関が見えてきたとします。(実際にそういった内容のnoteを読んだことがあります。)

毎日投稿すれば見てもらえる人が増えると思い、毎日投稿を開始します。そして徐々にフォロワーさんやスキの数が増えていき、それが快感になり、いつの間にか毎日投稿が目的になっている。書籍化されるような記事を書くという当初の目的は遥か彼方に追いやられている。

こういった経験は仕事の場面でも多いのではないでしょうか?インターネット広告では、効果改善という目的のために検証を行う事が多いのですが、いつのまにか検証することが目的になっていたりします。

「会議のための会議」みたいなのも近いかもしれません。

今日ふと「これってなんでやってるんだっけ?」と思う事がありました。
そもそもどんな目的でやってるんだっけ?

習慣化される事は個人的には良い部分が多いと思います。ただあまり本質的でないモノが習慣化されてしまうと、それが日常になっているので「なぜ?」という疑問が浮かびにくく、少し厄介だなと感じました。

意識的に考えないと気づかない事が多いので、一度習慣化していること・そしてどんな目的でそれをやっているんだっけ?を洗い出す機会を作るべきだなと感じています。

手段が目的化してしまうことで、実は時間を浪費していたり、本来の目的とはズレた行動になっている事も多いので、一度見直してみてはいかがでしょうか?

おしまい!

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