結婚式を中止した。そして私は、髪を切った。
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結婚式を中止した。そして私は、髪を切った。

2020年5月、東京。
私たちは小さな結婚パーティーを行う予定だった。参加者はお互いの親族のみ。30人にも満たない、小さな小さな結婚パーティー。巷で行われる結婚式に比べれば大した準備なんてなかった。それでも実施日の1年前から式場の下見やら招待客への日程調整やら、料理のメニューはどうするやら、準備に余念がなかった。最高の5月になるはずだった。

***

ー2019年1月ー
新年会を兼ねて、私は気のおけない男友達たちと入籍前に酒を飲みながら管を巻いていた。

「ねぇ結婚式ってみんな何のためにやるの?形式上のものに意味なんてある?それに30代に入ってすっかりたるみきった身体にドレスを着せる勇気なんてないわ。みっともない姿を晒して全方面からバシャバシャ写真を撮られるんでしょ?苦痛以外の何者でもないんだけど。」

そんな冷めた私を「変わっているね」という人は少なくなかったが、
友人は笑いながらこう言い切った。

「大方の男は結婚式に関心がないしバージンロードを歩くなんて恥ずかしいと思ってるよ。だから式に興味がない彼女なんて男側からしたら最高なんじゃん?式ってとにかくお金かかるし、ゲストの調整も大変だし、それに何よりも準備期間中って喧嘩が絶えなくて本当に大変だったよ…」

その言葉を聞いてすっかり安堵した。
式をしなければ恥ずかしい思いをしなくて済むし、無駄な喧嘩もしなくていいし、お金は新婚旅行に使える。それって最高じゃないか。
だが人生とは思うようにいかないものである。

ー2019年3月ー
ある日、彼がこう呟いた。
「せっかくだから親戚だけ集めて、式じゃなくても何か食事会的なものはしてもいいのかな」
耳を疑った。今までそんなこと一度も口にしなかった彼がそんなことを言うなんて。だが嫌だとは言い切れなかった。私はこれからこの人と結婚するのだ。自分の我を押し通してばかりでは結婚生活なんてすぐに破綻してしまうだろう。それにあの日、男友達は最後にこう付け加えていたのだ。
「まぁ大変だったけど、やってよかったよ」と。

すぐに前向きにはなれなかったが否定もしなかった。
「そうだね、そう言うのもアリかもね」と彼にはその場ではお茶を濁した返事をしたが、この時私はなんとなく、「式じゃなくても何か食事会的なもの」をするんだろうなと感じていた。
この日から私は髪を伸ばすことにした。

ー2019年5月ー
令和の始まりと共に、私たちは入籍した。役所に向かう暗闇の中、車のラジオからはペンギン・カフェ・オーケストラの「Air a danser(エール・ア・ダンセ) 」という曲が流れていた。
世界は自分のためにあるような、そんな勘違いをさせてくれた。
伸びかかった髪が夜風の中で波打っていた。

ー2019年7月ー
いくつかの会場を下見して、東京タワーが見える式場でナイトウェディングを行うことを決めた。開催日は来年の5月、ゴールディンウィーク。結婚式は行わずチャペルで記念撮影を行い、その後アットホームな雰囲気の中でディナーをするという簡素なものだ。
彼との間に、東京タワーへの特別な思い入れがあったわけではない。遠方に暮らす夫側の親戚の方々にも喜んでいただけるよう、東京を代表する観光スポットが見える場所を選んだという、なんてことない理由だった。
胸元まで伸びた髪が太陽の光を浴びて透き通っていた。

ー2019年10月ー
来年の5月にどんな結婚パーティーをするのか。まだ何も決まっていなかったが、髪だけは順調に伸びていた。夏の紫外線にやられた髪を労るべく、美容院では最高級のトリートメントと自分の髪質に合うサロン専売品のシャンプーを美容師さんに選んでもらい、せっせとケアに勤しんだ。
黒々とした髪は真っ直ぐに生えていた。

ー2020年1月ー
年が明けた。来月には新婚旅行、春には私たちの結婚パーティー、夏にはオリンピック。今年は忙しく充実した年になりそうな予感。
1月中旬に一回目の打ち合わせを式場と行い、簡単なオリエンを受け、次回の打ち合わせまでの宿題に腕まくりをする。乗り気じゃない結婚パーティーだったが、せっかくやるならゲストも自分たちも満足できる、最高のひとときにしたい。私たちは食事のメニュー、引き出物、引き菓子、パーティー中のコンテンツ作りなど、 胸を高鳴らせていた。

その頃、中国で謎のウイルスが発生しているとニュースで報じられるようになっていた。インフルエンザみたいなものだろうとそこまで気にせず、1月下旬にはドレスの採寸を行った。友人のデザイナーにオーダーメイドのドレスを作ってもらうことにしたのだ。
髪のケアも抜かりなく行っていた。冬の乾燥に負けないように一ヶ月に一度美容院に通い、痛んだ毛先をカットし、スチームアイロンでまっすぐに伸ばして艶が出るように。たるんだ身体が少しでもマシに見えるようなドレスのデザインに頭を捻りながら、それにふさわしい髪型のイメージを膨らませる。
私の髪は踊っていた。

ー2020年2月ー
2月初旬。ハネムーン先の南の島に向かう飛行機は空いていた。マスクをつける習慣がない外国人がしっかりと着用しているなんて…コロナウイルスって世界ではこんなに流行しているの?日本に帰る前に立ち寄ったシンガポールでも驚くほど人が少なかった。
帰国後、たくさんの太陽を浴びて遊び疲れた髪を回復させるべく、月末に美容室の予約をとった。その間にどんどん未知のウイルスは世界を蝕んでいった。
2月下旬。私たちは家族行事のため、遠方に住む夫の実家を訪れていた。そこで私は思い悩んでいたことを夫の親御さんに聞いてみることにした。
「5月に行う結婚パーティーですが、延期した方がいいですかね?」
私はこんな答えを期待していた。
「うーん、どうだろうねぇ。そこまで気にしなくてもいい気がするけど。」

だが、その答えは想像を超えるほど非情なものだった。
「そりゃ親戚たちに聞いたら延期して欲しいって言うに決まってる。そもそも東京に行くことさえも嫌がっていたんだから。」
私の髪は、パラパラと暗闇の底へ音を立てて落ちていった。

ー2020年3月ー
2月末に行く予定だった美容室はキャンセルした。いろんな意味でそれどころじゃなかった。未知のウイルスは全世界で猛威を振るい、もはや気軽に出歩けるような状況ではなかったし、髪を労わる気分にもなれなかった。ニュースではコロナによる結婚式の延期・中止で400万以上のキャンセル料を支払うことになった新郎新婦や、こんな時期に結婚式をやるなんて不謹慎だ、という類の記事が連日報道され、同じような状況にいる者として心を痛めていた。
私たち夫婦はというと、親戚は呼ばずにそれぞれの両親や兄弟のみを招待した縮小版で実施することを余儀なくされた。

2月以降、喧嘩の絶えない日々が続いていた。
「コロナでパーティーが延期・中止になるのは仕方ないよ。でもあなたの親戚がそもそも東京に来たくなかったってどういうこと?東京で実施するってことで納得してもらっていたんだよね?ねぇどうして?あなたの親戚なんだからあなたがちゃんと話して調整してくれないからこんなことになったんじゃない!」
本能のままに瞬間湯沸かし器のように怒り狂い、マグマのような熱湯を夫の全身に浴びせ続ける日々。
返り血のような熱湯を浴びた私の髪は、あまりの熱さに溶けていった。

ー2020年4月ー
私たちは埋められない溝の存在に見て見ぬ振りをして日々をやり過ごしていた。そんな最中に緊急事態宣言が出された。それによって式場も営業停止となり、私たちの結婚パーティーもあえなく中止となった。延期ではなく、中止にしたのは私の意向だった。祝福されないならいっそのこともう結婚パーティーなんてやらなくていいと思ったから。
マグマのような熱湯を浴びた私の髪は、冷えて次第に溶岩石のように固まっていった。

ー2020年5月ー
久しぶりに美容院に足を踏み入れた。5月に実施する予定だった結婚パーティーの代わりに、海辺で二人だけの結婚写真を撮ることになったのだ。2月以降、自堕落な生活を送っていたせいで身体はすっかり緩み切り、手入れをさぼっていた髪はバサバサになっていた。体形はもうどうにもならないとして、せめて髪くらいはプロにお願いしよう。そう思ったのだ。

「フォトウエディングをするので髪をきれいにしたくて。」
それだけ言うと美容師さんは慣れた手つきで傷んだ毛先をカットし、最高級のトリートメントで栄養を与え、写真写りがよく見えるようにカラーも施し、仕上げにヘッドスパをしてくれた。
その間、私は一言も発さず黙って変わりゆく髪を見つめていた。
「これで完成です!すごく綺麗ですね。髪の写真、お店のホームページ用に撮ってもいいですか?」

撮ってもらった写真に目をやった。
枝毛だらけだった私の髪は、澄ました表情でそこに佇んでいた。

ー2020年6月ー
緊急事態宣言も解除され、人々はウィズコロナの状況に慣れていった。
先月撮ったウエディングフォトの写真が手元に届く。
友人が真心込めて作ってくれたドレスに身を包む私の隣には笑顔の夫がいた。
私の髪は、海風になびいていた。

ー2020年7月ー
いつの間にか季節は夏になっていた。
これまでの日々のことを思い出す。

どうして私は自分の思い通りにならないとすぐに不機嫌になるんだろう。
どうして私は自分とは異なる価値観を受け入れられないんだろう。
どうして私は笑顔でいたいのにムスッとばかりしているんだろう。
どうして私は相手の気持ちを考えられないんだろう。
どうして私はわがままばかり言うんだろう
どうして私はすぐに怒ってしまうんだろう。
どうして私はこんなに子供っぽいんだろう。
どうして私はすぐに人を恨むんだろう。
どうして私は人を許せないんだろう。
どうして私は目の前の幸せに気付けないんだろう。
どうして私は無い物ねだりばかりするんだろう。
どうして私はこんなに自分が嫌いなんだろう。
どうして私は変わりたいのに変われないんだろう。

ねぇどうして。
どうやったら変われるんだろう。

ー2020年8月ー
「本当に切っちゃうんですか?この間、縮毛矯正もトリートメントもかけたばっかりですけど…せっかくここまで綺麗に伸ばしているし、いつでも切れるので肩下くらいの長さでもいいかなと思いますけど…」

8月の暑いある日。
私は胸下まである髪をショートヘアにしてほしいと美容師さんにお願いしていた。
「この髪にはたくさんの思い出があるんですけど、今までの自分とちょっと変わりたくて…」
そう言うと美容師さんは笑顔になった。
「そうなんですね。じゃあバッサリいっちゃいましょうか!ショート絶対似合うと思いますよ!」
その言葉に心が弾む。

私は美容師さんに悩みをぶちまけた。
毛量が多いこと、ブローが苦手なこと、なるべくスタイリング剤を使いたくないこと、下膨れの丸顔で首が短いことがコンプレックスなこと、癖毛なこと、髪をかきあげると白髪だらけなこと。
美容師さんは一つ一つ、心に溜まった黒い塊を洗い流すように、丁寧に話を聞いてくれた。
30cmほどバッサリと切っただろうか。美容師さんは、毛量が目立たないようにカットして、後ろから前に流すだけでキレイな形が保てて、スタイリング剤がなくても纏まりやすい前下がりのショートボブにしてくれた。
「少しモードな感じになって、すごい似合ってますね!」
他のスタッフさんからもそう声をかけられ、自然と笑みがこぼれる。

美容室からの帰り道。ずっしりと重い何かが削ぎ落とされ、自然と足取りが軽くなる。歩きながら何度も自分の後頭部を触って、本当に髪を切ったことを確かめる。今まで隠れていた首があらわになって少し気恥ずかしい。
あぁ、髪を切るだけでこんなに前向きになれるんだ。

「おかえり。」
外から帰ってきた夫を出迎える。
「あれ、髪切ったんだ。」
「うん。似合ってる?」
「いいんじゃない。」
私の髪は、コロコロと微笑んでいた。

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メディア業界で働いています。プライベートでスペイン語を話したり、訳したりしています。 noteでは日々感じたこと/お仕事のこと/音楽のこと/などを書き留めています。