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書評 #73|ヒポクラテスの悔恨

 『ヒポクラテスの悔恨』はシリーズの魅力はそのままに、作品が持つ揺るぎない信念を読者に伝えている。死者の声に耳を傾けること。老若男女を問わず、本作で光が当たる人種の違いも問うことはない。新法解剖や画像診断など、新たな風は吹きつつも、解剖という名の真実を求める探求にはシンプルな目的を背景に、高貴な印象すら受ける。そこには私利私欲や生きている人間だからこそ持ち得る感情の濁流がなく、それとの対比があり、作品の高潔さに一層の磨きをかける。

 多くの物事がそうであるように、信念を実践するには多くの障壁が立ちはだかる。死ななければいけない状況は。死んで得をする人間がいるのか。その追求なくして、本作は成立し得ない。本作の大部分を占めるそれは苛烈だ。感情の衝突が頻発し、時には強行突破も辞さない。それは司法解剖に至るまでの下準備であり、予算や解剖医の不足などを筆頭とした、日本における解剖を取り巻く課題の象徴なのだろう。

 一つの理想像を『ヒポクラテス』シリーズは描くが、現実との間に横たわる溝の大きさも、深さも想像してやまない。作品の中では犯人が必ず存在する。だからこそ、死者の周囲に広がるセンチメンタリズムも真実とともに昇華される。しかし、現実はそうではないだろう。仮に異常死体のすべてが解剖を受けたとしたら、死者の尊厳にまつわる批判が巻き起こるのではないか。制度課題を克服しつつ、欧米人とは異なる感情構造にいかに寄り添えるか。

 そこに正解はない。しかし、このテーマに一石を投じていることこそ、本シリーズの価値だと再認識させられる。


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