全国の文学部生へ

5月も終わり、大抵の大学ではサークルの新歓も終焉を迎え、新入生も大学生活に慣れてきて、先輩からいいことも悪いこともズルいことも一通り教わった頃だろう。
そして就活生は建前上の面接解禁日らしいので、これから説明会で、面接で、嫌というほど自己紹介をする日々が待っている。(もちろんすでにたくさん自己紹介をして大いに傷ついているだろうことは想像に難くない)

所属がバラバラの集団に入ると、自身の学部を名乗ることが多い。全国の文学部生の何人かは、きっと、今年も、かつての私のように、偏差値主義に端を発する学部という属性によるマウンティングや過剰に下手に出たがる気持ちの悪い争いの洗礼を受けて驚いたことだろうと思うので、そこから気持ちがひねくれてしまうことがないように(主に過去の私に向かって)私は言いたいとおもう。

文学部を選んだことに誇りを持とう。文学部を選択したあなたはたとえどんな選択肢があっても文学部しか選べなかっただろう。文学部に入った理由がたとえ小さな小さな火種だったとしても、無理に取り繕って隠して火を消してしまわないように。
文学部は小説家を目指す人の集まりなわけでも、本の感想を言い合ってるだけでも、むろん遊んでいるわけでもない。文学部は、人とその心、またそれらが生み出すものすべてを研究対象とする。必ずしも文学だけを学ぶものではない。広すぎて果てしない領域の中に、あなたにとっての「特別」を見つけて孤独に進んでいくのである。
文学部は遊ぶんがくぶ、楽でいいよね、などと言うのは実態を知らない戯言でありただのマウンティングであって、誰かを見下したくて使う言葉に耳を貸してはいけない。
なんの役に立つのかと言う人がいるなら言ってやれ、お前は一人で生きているのかと。自分の考えが唯一絶対だと勘違いしないための学問であると。人を理解し人と生きていくために必要な学問であると。

人は単純なストーリーが大好きだ。型にはまっていれば安心する。社交辞令的に交わされる会話の中では、ことばが多少真実でなくてもいいらしい。これを知っておくと少し楽になれるだろう。
文学部の世界のことばへのこだわりをそのまま一般社会に適用すると生きづらいことも多い。たとえば「成長したい」と言う友に、たとえば「うちは成長できる環境です」という企業に、薄気味悪くなって成長ってなんだと立ち止まって考え込んでしまうあなたは、けして間違っているわけではない。むしろ大学の教育がうまく行っている証拠であって、ちゃんと順調に「よく考える人」になれているのだ。
面接ではもしかしたら上っ面だけよく話す人が通過しているように見えるかもしれない。けれど考える人を欲している企業はきっとある。普通のシューカツが気持ち悪くなったら、べつに同じやり方に従う必要もない。違うやり方や道を探すのも手だ。

ダニング・クルーガー効果というのがある。自己評価ほど当てにならないものはない。過度に自信をなくさなくていい。一つのことを何時間も何日もただひたすら考えたり、たった一行を理解するためにいくつもの書物をめくっては何週間もかけて丹念に追っていったり、その根気強さは実は武器で、そんなの演習だったら普通でしょと思うかもしれないが意外と他所ではやっていないものだ。すごいことを淡々とやっているのだ。

恥じることは何もない。堂々と生きよう。

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