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文字依存症のぼく

ぼくは本が好きだ。

でも家の蔵書量がめちゃめちゃに多いと言う訳ではないし、推しの作家さんがいるという訳でもない。毎年本を何十冊も買うなんてこともしないし。

それに読む本のジャンルだってバラバラ。ミステリーだって、SFだって、自己啓発だって読む。もちろん漫画だって読む。


ぼくはそんな風に興味のある本を乱雑に選んで読んでいるから、自分のことを筋金入りの”読書家”とは呼ぶことはできない。

勝手なイメージだけど、”読書家”の人はいくつかのジャンルにこだわりを持っていて、その分野に造詣が深いものだと思っている。


ぼくはそれに全くあてはまらないから、もしぼくが「本が好き」って言ったら”読書家”の人には怒られてしまうかもしれない。

でも、間違いなく本を読むのは好きだし、本が好きって言ってもいいいいんじゃないかなと思っている。



だけど、最近考えているのは今までの話とは少し違う。

ちゃんと言うなら、ぼくは本を読むことよりも文字情報を頭に流し込むのが好きなんだと思うのだ。


さて、あなたは「文字情報を頭に流し込む」という表現にピンとくるだろうか。

もし「あーなるほどね」と思ったなら、あなたはぼくと同類だ。おめでとう。

そう言われても嬉しくないかもしれないけれど笑



ピンときていない人のために説明すると「文字情報を頭に流し込む」とは本などに書かれている文章を片っ端から頭に入れていくことを指す。

別に内容のきちんとした理解は伴わなくてもいい。ザーッと文字列に目を通すイメージで文章を見ていくこと。

それがぼくは好きなんだと思う。



で、先日からぼくがそう考えるようになったのは、かなり昔に読んだある小説のエピソードを思い出したから。


その小説とは、はやみねかおるさんの『都会のトム&ソーヤ』。

ぼくと同世代の人だったら読んだことのある人も多いと思う。


それで、この「マチトム」に出てくるキャラクターの「竜王創也」を紹介する文章で

「手持ち無沙汰だと調味料の原材料名まで読み込む」

みたいな表現が出てくる。


何巻に書いてあった文章なのか、とかは覚えていないけれど、これはとても記憶に残っている一文なのだ。


なぜかというと、ぼくはこの一文を読んだ時に「あっ自分もやってるじゃん...」と思ったから。

ぼくも、おやつを食べている時に少し手持ち無沙汰で、じゃがりこの原材料名を読んでいた記憶があるのだ。

調味料じゃなくてお菓子だけど、似たようなことをしていることに変わりはない。


もちろん今これを読んで、「こいつやばいな」って思った方もいるかもしれない。

だけど一定数ぼくに共感してもらえる人はいると思う。



それでぼくは自分自身のことを”文字依存症”だと考えているのだ。

「文字があったらついつい読んでしまう」のは、もちろん文字通りの”依存症”ではないけれど、適切な表現かなとも思っている。



さて、最後にぼくに共感してくれるような文字依存症の人に与えてはいけないサービスを2つ紹介しておこう。


それはTwitterとnote。

この2つのサービスの特徴はいくらでも制限なく文字を読むことができることで。もちろん上限はあるけれどそこまで到達するはずもないし。

スクロールを続ければ誰かが書いた文章が更新され続けるから、何分でも何時間でも読み続けることができる。

ぼくみたいな人にとって、それは夢の環境だ。



さて、ここまで長々と書いてきたが、まあ結局何が言いたいのかといえば、Twitterとnoteは最高のサービスだということ。

だから今もぼくは、時間を使い潰すぐらい素敵なクリエイターさんと出会えることを期待してネットの海を泳いでいるのだ。

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