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東京は自分でいられない街(後編)

こちらは前編の続きです!
気になる方はぜひ前編からご覧ください。

ラジオで聞きたい方はこちらをどうぞ(^o^)/

いざ、大好きな彼女の家へGo!

留学して3ヵ月くらいしか経っていない私には、バスで6時間もかけて人の家に行くなんて、もはやまぎれもない大冒険!
一人で言われたバスに乗り、超ドキドキ彼女の家へ向かった。

家の方の近くになると、とにかく何でもない景色が広がった。
山々がずっと続くような中にポツンとあった小さな街。日差しが強すぎるせいか緑は思ったより少なく、土の黄色っぽい景色がぶわーッと広がっていた。

街にはブラジルらしい鳥もいた

いざ到着すると、本当に小さい街だった。簡素な商店が1、2軒。
アイスクリーム屋さん1軒。お医者さん1軒。あと教会。他には何かあったっけ?っという感じのシンプルさ。

遂に彼女の家に着くと、素朴だけどすごくキレイに整った一軒家が!2人暮らしをしていたみたいで、素敵な旦那さんを紹介してくれた(*^-^*)

どこまでも小さな街

2人は子供のように本当にはしゃいで私を歓迎してくれて、彼女は私の沢山の好物を作って待ってくれてた!

すごい量。笑

留学中私が大好きだった鶏肉とジャガイモの煮込み(彼女が作ると絶品)を見つけ狂喜乱舞(笑)。みんなで仲良くワイワイ食べた後はアイスクリーム屋さんへGo!大人3人でペロペロアイスを食べ、気分はもうニコニコ🌸

旦那さんは、そのまま街中の子供たちに私を紹介(笑)。

街全体が親戚のような感じで、旦那さんが「日本から女の子がきたよー!」というと、すぐさま楽しそうにみんな集まってきて賑やかに🌈

可愛すぎた双子くんたち

そんな感じで、街の色んな所を散歩して練り歩く我ら3人。そして、街の小さな山頂にも連れていってくれたので、ふとそこから街を見下ろすと、なんと街全部がそこから見えている…!!!
と、それくらい小さかったんですよね。

けど、その景色が東京生まれ東京育ちの私には新鮮でしかなかった。

「…目に見える範囲に全部があるなんて事、あるんだなぁ…!」

そんな景色見た事もないのに不思議と懐かしい感覚も込み上げて、「ダメだ。ここ…なんかすごくいい!!」と急に泣きそうな気持でいっぱいに!

うまく言えないけど、すごく惹きつけられたんです。

宝物の時間

旦那さんは話しても本当に優しくておちゃめな人で、大人なのに小学生みたい。とにかく無邪気で可愛いでしかない。

奥さんも可愛くて、私たちが小学生のように遊んでるのを見てケラケラ笑っていて。

その空間の中では、自分が子供とか相手が大人とか、そういった枠すらどこにもなくて、ただみんなが自分のままの存在してる感じで。
どこまでも自由で、どこまでも温かくて優しくて、2人といるとなんだかいつも幸せ過ぎて心の中で泣きそうだった。

懐かしい風景

夜は奥さんと二人でベッドに横たわり、恋バナなんかを聞かれたりしながら2人でキャッキャキャッキャお互いの国の話をして笑って寝て。

幸せってこういうことを言うんだな!としか言いようがない時間。
なんともうまく説明できないけど、

本当に満たされるってこういう事を言うのか!と感じる瞬間でした。

街には本当に何もない。けど、なんにもないのに、そこにはなんでもあった。この時私は初めて

「あぁ、人ってすっごいいいな…!」

と思うように。もちろん、そんな2泊はあっという間に過ぎるけど。

別れの時

どんなに幸せだったとしても、お別れの時はくる。

2人が送ってくれるというので3人でバス停に向かって歩き出した。
もうすぐ来る別れが自分の頭にもきっと2人の頭にもちらつき、段々とお互いの言葉が減ってきた。
何か言いたいのにこれから離れると思うと悲しいし寂しすぎて、喉の奥が締め付けられて、うまく言葉が出ない。なんだか胸まで重苦しかった。

たった3日しか一緒にいなかったのに、どんどん大好きになった2人とこの街から離れたくなくて「ここに住めたらいいのに」なんて非現実的なことをボンヤリ思った。そしてそれを非現実的だと冷静に思ってしまう自分の感覚も、なんだか切なかった。

いよいよバス停についてしまい、最後になんて言葉を言おうか悩んだ瞬間、なんと私の乗るバスが早めに来てしまった!

泣きたい気持ちを必死にこらえ、とにかくなんか言わなきゃとわざと明るく「また会おうね!」と言おうとした瞬間、言葉を出す前にふと頭によぎる。

『そうだ、ここはブラジルだ。その中でもアクセスの悪い小さな街。「また会おう!」の一言も気軽にはいえない場所なんだ…』

私は何も言えず立ち尽くし、もうどうにもならない気持ちをグッとこらえひと言「本当に楽しかった、ありがとう!」と自分が言えるだけのことを伝えました。それ以外の色んな気持ちを伝えられない事が、グッと苦しいのも飲み込んで、絞り出した一言でした。

すると、旦那さんの方がいきなりボロボロっと大粒の涙をこぼし、

「寂しい。すごく寂しいよ。ウチの子になったらいいのに・・・!」といって、ポロポロ泣きだしたんです。

その瞬間、私も耐えきれずぶわっと涙が出ると同時に、自分の中に生まれた感情に衝撃を受けます。

知らなかった感情

私がこの瞬間、感じたのはかつて経験したことのないもの。

彼の優しさが私にとって『嬉しい』&『怖かった』んです。

え?こんないいシーンで怖い?って、これを読んでくれてる人は思うかと思うんですけど(笑)。

上手く言葉にできるかはわからないけど説明すると、彼ら夫婦があまりにも純粋に私を愛してくれたというのがすごく伝わってきて、だけど私は人生でそんな純粋に愛情をぶつけられたという経験が今まで一回も無かったんです。

思えば日本の家族は確かに自分をとても愛してくれていたんですけど、こんなにも感情も真っすぐな分かりやすい愛情をガツンとぶつけられたことは無くて(日本人らしく親らしい柔らかな愛情は十分注いでくれていました)。
ましてや、他人からここまでの愛情をまっすぐにぶつけられたことは人生で一度もなかったんです。

また、日本だと何かをしてもらったら返さければいけない、というのが当たり前の感覚として育ってきた自分がいました。

してもらったら返すという「等価交換・対価交換」みたいなのが当たり前の感覚で育った私は、自然と「何かをしてもらったら返さなきゃ」という考えが染みついていたんです。

けれど彼らの所に滞在中、私は本当に何もせず、ご飯をご馳走してもらっては、一緒にひたすら遊んでもらっただけ。

一方的に沢山大切にしてもらい、もうとにかくもらってばっかりだったんです!だから「何にも返せるものが無くて悪いな・・・」と心のどこかで思っていたのに、そんな事すら一切気にする様子なく別れ際、急に彼らがあまりに純粋な愛情をドカーン!と表現したことに「そんな感情、自分は知らない」と衝撃が走りました。

とっさに何にもあげられていないのに、こんなにも大事にしてもらえるなんて…というのが、自分には心からは理解できなくて怖かったんです。生まれて初めて無償の愛をもらった気持ちになり、無償すぎて情けないことに怖かった。

それと同時に…自分はもしかしたら、本当の愛情って知らなかったのかも…と不安な気持ちが込み上げます。

それは今まで信じていたすべての世界がひっくり返る感覚。

今まで日本で「これは愛情だ」と自分が信じていたものは、全部もしかしたら違ったのかもしれない、と思うとかなりの恐怖でした。

その瞬間の彼らの愛情の途方もない嬉しさと、今までの自分のすべての幸せがもしかしたら虚像だったのかもしれないという足元がグラグラするような脆さとがごっちゃになって、あの一瞬、私の世界は止まったんです。

忘れられない

この体験が、忘れられないんです。

見送りしてくれた奥さんの別れ際、「いつか日本に出稼ぎに行きたい」と言って、ポロポロ涙をこぼす姿。2人がすごくまっすぐに見てくれた視線。その目が子供の様に綺麗だったこと。

私は言葉が何も出ず、ただもうこらえきれず泣くことしかできなかったこと。

一瞬が、無限のように感じたこと。

今でもほぼ毎日、彼らの姿が目に浮かびます。

帰国して見た東京

それでも気づくとなんだかんだ帰国を楽しみに、私はある日留学を終え、日本へ帰りました。

やっぱり日本食は食べたかったし、慣れた友達にも会いたかったし、言語だってもう何の苦労をしなくてもいいし、家族にも会える。ゲームや漫画だってやるぞーー!とワクワクして帰りました。

でも、見える景色があの経験の後では違っちゃったんです。
あんなに望んでた日本だったのに…。

帰国して東京を見渡すと「あれ!?この国って本当に何でもあるぞ!!!」と。

欲しいものは何でもあるし、百均のレベルは高すぎるし、可愛い服も売ってて、美容師さんの腕前はすごいし、エンタメ力もすごい。ご飯は最高に美味しい。

「でも・・・なんか・・なんにもない!」と思っちゃったんです。

外側の物ならいくらでもあって、一瞬心が満たされるように勘違いできるんです。でも、人としての大事なものがなんにもない・・・と、そんな気がしました

みんながせかせか生きて、灰色のサラリーマン服を身にまとい、特に大人になるとみんな下を俯いて歩き、空気が重かった。

大学生たちはサラリーマンになる前の最後の猶予期間というように人生を儚くも謳歌し、なんだか『大人になるとこの国では心を殺さなくちゃいけなくなるんだ』と漠然と思いました。

電車にのったら全員が携帯を見ていて、誰も楽しそうに話していない。赤ちゃんが泣いただけで、イライラしている雰囲気を出す人も見てビックリ。

なんだか仕事は死ぬほど忙しそうで、ブラジルよりもよっぽどお金や物はみんなあるはずなのに、自殺率は高い国。何のためにお金を稼ぐのか、お金を稼げば幸せになるような幻想を抱かされながらも、大事なものがズレているように見える国。

みんな友達と遊んでいても、家にいても、電車の中でも、ふとすると携帯にばかりのめり込む光景。

「みんな本当にここにいるの?」


という気持ちで。すごくこの国に帰ってきた時、私は心細くなります。自分がこの国で大人になるのがすごく怖かったし不安でした。

そして誰にもその感情は説明できず、家族や同年代にもそんなものは説明しても解ってもらえるとは正直思えず、私は一体こんな気持ちを抱えて今後どうやって生きていったらいいんだろう?と途方に暮れたのをよく覚えています。東京には「愛」ってないのかもしれない。そう思って、言葉が出なくなりました。

これが、嬉しかったのに苦しかった私の原体験です。

東京との付き合い方

元気になった今でも私は、感情を制御してる人が多い東京では、つい寂しさを感じることがよくあるし、自分もロボットっぽくなりそうな時もあって悲しくなる時があります。

本来はゆったりしたり、人の事を大切にしたいなと思う気持ちがある私も、つい東京の空気に引きずられて自分もせかせかしたり、効率化した方がいいのかな?とか、もっと仕事頑張らなきゃなのかな?とか、成長した方がいいのかな?とか、変に謎のもっともっとこうした方がいいのかな?の波に巻き込まれそうになります。

なぜか東京にいると不安を感じやすい広告、宣伝、価値観(年収、体型、資格、人のコンプレックスをメインとした広告)なんかに溢れているせいか、「自分って何か足りないの?」という気持ちにさせられてしまいます。

でも、やっぱりそうじゃないよねって。

目を閉じるとあの頃の光景がすぐに浮かびます。

本当は誰も足りないモノなんてないし、みんなもう十分だ、と。

人は何かを付け足さなくても、もう存在してるだけで十分全員ステキだって思い出すんです。

何かを足りないとつい感じさせられるのは、資本主義という誰もがお金を稼ぎたい社会の中で、不安になってもらってお金を使ってもらわないと困る人達が大勢いるからだろう、とシンプルに思うようになりました。だから、無意識に目に映るようにテレビや広告や雑誌など、ふいに目に映る何もかもに変な広告がまぎれこんで、気づいたら不安になってるんでしょう。

(もちろん、解っていても別に欲しいものがあれば私も遠慮なくお金を使ってもぎ取りに行きます笑。)

それでも、不安になりそうな時は自分に立ち返る。

人と比べるとか、足りないモノを数えるのじゃなく、ただ自分に真っすぐに愛情をもってあげて、さらにその愛情を人にも分け与えてあげられる自分を思い出すようにしています。

そして同時に彼らを思いだす。

彼らからもらった優しさや、人としての素直な強さ。

私も、あんな風な素直な大人になりたいな、という気持ちを思い起こします。

無い数ばかり数えないで、今自分にあるものを「ある!これもある!あれもできてる!」と数えてあげます(笑)。

そしてそんな気持ちを思い出しながら深く呼吸をし、大好きな音楽を聴き、美味しいお茶を淹れて飲みます。

あの夫婦のように、年をとっても素直に人と向き合えたらいいなって思うし、人を大事にする思いとか、悲しい時は素直に泣けるようになりたいです。

日本は感情を制御する文化が強いので人前で泣かない人が多いけれど、私は素直に泣ける人って強くていいなって思ってて。自分も大人になって、昔よりよっぽど素直に泣けるようになったなっていうのが最近の私の嬉しかった事です。

まとめ

この体験は、昔からいつかはずっと書きたかった話でした。

実はこの話、未だに滅多に周りの人には話したことがありません。家族にも友達にもほぼ話さず、自分の中でだけぐっと閉じ込めていた話でした。

「人にいうのはちょっと恥ずかしいかもな…」となんとなく秘めてたんです(笑)。着地点は特にない話なのでまとまった気はしませんが、これはこれでいいのだ、と自分の肩から荷物を降ろすように発信の節目に書いてみました。

どうしても誰かにはずっと伝えたくて。
それがどんな人へ?と聞かれたら困るのですが。

本当に少数かもしれないけれど、誰かのもとへ響いたら嬉しいです(*^-^*)


今日もここまで長文を読んで頂きありがとうございました!


みんなも愛ある1日を!


さいとう

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