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2021年、日の出を見て、初夢を見たいと必死に願って

 2021年は、実家のマンションから日の出を見るところから始まった。
ゆっくりゆっくり、オレンジ色のあたたかい光が山のまわりに広がって、太陽がキラキラとあたまを覗かせる。それは舞台のせりから歌いながら上がってくる、演歌歌手を一瞬思わせた。

太陽が2021年の歌を歌いながら、昇ってくる。

パアアっと太陽がその全部の姿を見せたあと、周りが虹色に輝いていて、一気に空が明るくなって、それは水晶が空に浮かんだみたいで、とても神秘的だった。気づけば何回もひとりで、「綺麗やなあ綺麗やなあ」と言っていた。

「今年は良いことあるよ」と母は隣で言った。ふと、母が思う「良いこと」ってなんやろう、と思った。多分わたしは、彼女が「良い」と思うことを、何一つ叶えてあげられていない。なんかごめん、と思った。年々、自分がここにいてもいい人間なんか、実はよくわからなくなっている。

でももうええか、と思う。もうなんでもええやんか。
ただ今日の太陽が綺麗、それでええやんか。

◇◇◇

そういえば初夢とはいつのことを言うのだろう、と思った。
調べてみると、「12月31日から1月1日にかけて見る夢」説と、「1月1日から1月2日にかけて見る夢」説とある。12月31日から1月1日に夢は見なかったので、今日(元日)に見れたら、一応「初夢を見た」ということになるんかな、と思う。

どうせならいい夢を見たい。一富士二鷹三茄子。
テレビなどで見た映像は頭に残りやすくて、夢になりやすいと前に聞いたことがある。だんだん、なんとしてでも「良い初夢が見たい!」と思うようになり、必死に富士山や茄子の画像を探して、じぃーっとスマートフォンの画面に穴が開くほど見つめていて、気づけば半日を費やしていた。ハッとしたときにはもう夕方になっていて、何やってるんやろう自分、と思った。

努力の甲斐も空しく、初夢は何にも見ずに終わった。
でも人生の大半、大体がこんなもんだと思う。

◇◇◇

初詣は1月3日の今日、いつもとは違う神社に初めて行った。
朝早かったからか、参拝者はひとりだけいて、すれ違うときにお互いなんとなく会釈をする。全然知らないひとなのに、神社に行ったら結構こういうことがあって、なんとなくこの感じが好きだ。そして、1枚だけ来た年賀状に、返信を書いてポストに投函する。それから昨日の残りのおせち料理をだらだらと食べた。いつか、「きのう何食べた?」でやっていた、栗きんとんのトースト食べてみたい。(トーストするほど栗きんとんが余っていなかった)

ああ、そういえば大掃除せずに年越ししてしまったなあ、いつしようかなあ、なんてことを考えている。今は寒いし、春ぐらいにしようかなあ、とか思っている。春は一体どういう風に世界が変わっているんだろう。2ヶ月や3ヶ月で世界は変わらないかなあ、いや、昨年変わりましたがな。どうだろう、今年は。こればかりは神のみぞ知る。

◇◇◇

ずっと読んでくださっている方や、初めて読んでくださった方も、なんとなくここまで読んでわかるかもしれないけれど、わたしの文章には強いメッセージ性も、役に立つことも、明るい前向きになれることも、特に書いていない。読む人によっては、もしかしたら「読んでも意味がない」と思われているのかもしれない。

でもね、わたしは、今は「意味がない」と思われることも、続けていれば、必ずそれが「意味のある」ものにいずれ変わる、と思っている。ただそれが「意味のあるもの」になるまでは、とても時間がかかってしまって、待てないから大半の人が「意味がない」と思っちゃったりして、辞めちゃうから意味がなくなってしまうのだと思う。

これからも多分、あんまり役に立たないことを書いていきますが、2021年もどうぞよろしくお願いします。読んでくださっている方には感謝しかありません。遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。




ありがとうございます。文章書きつづけます。