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ボブという名の猫

昨日は早めの晩御飯を食べながら、『ボブという名の猫〜幸せのハイタッチ』をNetflixで観た。(この日のメニューは餃子、厚揚げの炊いたん、中華風カニカマサラダ、途中で油揚げのネギ味噌焼きを追加した)


ジェームズはミュージシャンを夢見つつ、麻薬依存からもなかなか抜け出せず、日々を暮らしている。そんな中、1匹の野良猫の「ボブ」が迷い込んできた。ボブを飼うことになったジェームズは、ベティやヴァルに支えられながら、新しい人生を歩み出そうとする、という話。実話がもとになっている。


随分前に、『奇跡体験アンビリーバボー』でこの話が取り上げられていたのだけど、本当にこんなことがあるんだなあ、と思う。何かをきっかけに、というけれど、何がどう、スイッチを偶然に押すのかわからないものだ。守るものができたとき、人は強くなるし、困難を乗り越えられる、という。ジェームズにとって、それはボブだった。わたしには未だその感覚がわからない。本当にそういう存在ができたとき、強くなれるのだろうか。それがわかる日が来るのかも、自信がない。

人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。

『キッチン』で、えり子さんがこんなことを言っていたのを、頭がよぎった。


ジェームズは、何回も更生を試みようとするけれど失敗して、ホームレスになって絶望の日々を送って、それでも歌い続けてボブやベティと出会う。彼はずっとひとりだったけど、ようやく本当に楽しいことや大切なことを知ったのだと思う。続けてたから、道がひらけた。

話変わってひとつ気になったのが、ヴィーガンのベティが味噌をお箸で食べるところ。味噌は海外のヴィーガンの間でも、そんなに知られているものなのかなあと思うと、ちょっと不思議な気分だった。味噌は海外の人にもウケるのかな。

いい映画だった。ちなみにボブは亡くなったそうだ。色んな人を幸せにして亡くなったんだなあ、と思う。ボブが人間だったら、どういう人だったんだろう。どこかでスカウトとかされるようなイケメンさんかな。絶対スター性は持ってるよね。

2021年に続編も公開予定だそうで、楽しみ。











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