幸せになるほうへ転がっていく【おやつ日記:7月1日〜7月31日】
7月1日(月)
「さあ寝よか」と思ったら、どこからかぶんぶん音がする。
「なにごと」と思い天井のLEDライトを見たら、鮮やかなみどり色のカメムシが、よちよち歩いているではないか…!
「ひえー、なんでー、寝る前にー!」と思いながら、防虫スプレーをシューっとふりかけ、よわらせようと試みるが、効果なし。
やるな、おぬし。
結局机用の小さなダストボックスをそのカメムシに被せ、その中にうまく落ちるようにして持っていき、玄関のドアのところからそっと逃した。
君が幸せになるところに飛んでゆけ。
そう思ったが、ベランダの壁をまたよちよちと歩いていた。
7月2日(火)
朝来たら、職場の休憩室のエアコンが掃除されていた。フィルターが外してあって、窓際にたてかけられている。
「もしかして、掃除してくれました?」と着替えながらAさんに聞くと、
「ううん、それが違うんよ。誰がやってくれたんやろねえ」
と首をかしげる。
実は数日前、Aさんと
「これ、そろそろ掃除しないといけないですね」「このままじゃね」
「ほこりすごいですよね」
「いつします?」
「でも時間ないよね」というだらだらした会話をしたばかりだった。
でも結局わたしたちは行動にうつさないままで、誰かがやってくれたらしい。
誰かって誰なんだろう。
面倒なことや、わたしの気づかないことはいつも「誰か」がやってくれていて、それは「誰か」でひとくくりにしちゃいけないことなんだ、といつも思いながら、忘れている。忘れちゃいけないのに。
結局誰かわからなかったので、今度こっそりお菓子を置いとこう、と思った。
7月7日(日)
七夕。毎年七夕って大体雨のような気がするのだけど、今日は彦星さまも織姫さまも万々歳の晴れだ。晴れはいいけれど、暑過ぎて2人は無事に会えるのか、途中で倒れないか、とも思う。
暑かったが、母と一緒に平等院鳳凰堂へ行った。「昔、家族で行ったの覚えてる?」と聞かれたけど、覚えているような、覚えていないような。
目当てはやはり、本堂の阿弥陀如来さまだ。だが人数制限があり、次に見れるのはなんと2時間後。
「どうしよう」と思いながら2人で庭園をぶらぶらしたり、鳳翔館(ミュージアム)に行ってゆっくりすると、2時間は思ったよりすぐ経った。
さあいよいよ本堂へ。平等院鳳凰堂は浄土の世界をイメージしていて、どこを切り取っても雅な雰囲気だ。
本堂はきらびやかで静かだ。阿弥陀如来さまが穏やかに佇んでおられ、そのまわりで雲中供養菩薩さまが楽しそうに踊っている。暑さで顔がしかめっつらになっていたけれど、その様子を見ると少し顔がゆるんだ。
帰りに祖母と父にお土産を買って帰った。
祖母には抹茶煎餅と、お茶の佃煮を。
父には、小さい葛餅を。
祖母は抹茶煎餅を「抹茶の味が濃くて美味しいなあ、美味しいなあ」と言いながら、食べていた。
7月13日(土)
レンジでチンできるレトルトと、そうじゃないレトルトがある。
この時期だし、いやこの時期じゃなくてもレンジでチンできるレトルトがいいのだけど、パウチの後ろを作り方をよく確認しないで買ってしまうことも多いので、
「あ、しまった、これレンジでチンできないやつ
だ、また間違えちゃったなあ」と家に帰って調理するときに気づくことも多い。
そして今日もまたやってしまった。無印良品の八宝菜はとても美味しいけど、チンできないやつだったのを忘れていた。
「すぐ食べたかったのに…とほほ」と思いながら鍋に湯を沸かした。
7月16日(火)
午前中、華厳寺(鈴虫寺)へ行く。いつもは混んでいるお寺なのだけど、今日は平日だからかそんなことはない。
ご住職のお説法を聞くとき、いつもお茶とお菓子を出してくれるのだけど(客人をお茶とお菓子でおもてなしするのは臨済宗の作法らしい)、お菓子(落雁)は持って帰ることにした。
それから祖母の家に行って、鈴虫寺でいただいた落雁を一緒に食べた。本当は祖母にまるまるあげるつもりだったのだけど、祖母は「半分に切って一緒に食べよう」と言って、緑茶を淹れてくれた。
ご住職の話がとてもいいお話だったので、祖母にかいつまんでそのことを伝えると、「ええ話やなあ、ありがたい話やなあ、タケちゃんそんな話してくれてありがとうな」と喜んでくれた。
そうして2人で緑茶と落雁を少しずつありがたくいただきながら、おしゃべりした。
祖母は「捨てられん」といって、食べた後の包み紙をまっすぐ綺麗に正方形に折りたたんで、大事そうに自分の箱にしまっていた。
7月20日(土)
電車で隣に座っていた女の人の手帳が偶然チラリと見えてしまった。手帳は手書きの字でマスが埋め尽くされていた。多分大学生だろう、楽しい夏の予定でいっぱいなのだろうか。
むかしから、手書きの字でマスが埋め尽くされた手帳に憧れがあった。毎日かならず予定があって、誰かに求められている感じがうらやましかった。
ビューっと引っ張った矢印。予定ごとにふりわけられた色とりどりのペンの色。たくさん貼られたスケジュール専用のかわいいシール。
ちょうどその憧れがピークだったのは、彼女ぐらいの年頃。自分もそういうふうにしたくて、「今年こそは」と張り切って手帳やシールを買うのだけど、頑張っても月に1.2個しか埋まらない。わたしにはあいにく予定がなかった。
いつも余白だらけの手帳は全然面白くなくて、恥ずかしくて、おまけに「用無し」と言われているみたいで悲しかった。
今もわたしの手帳は余白だらけだ。時々不安になるし、それは結構恥ずかしい。
けれど、生きる上で必要なのは余白で、余白こそが心を豊かにしてくれる。そして余白があるから自分を知ることができる。
真っ白な手帳を見て、0.1mmでもそう前向きに捉えることができるようになったのは、成長の証だと思いたい。
7月22日(月)
ついにわたしのお財布にも北里さんがはるばるお訪ねになられて、「おおーっ」と感動する。
大げさにお札の端と端を持って天井にかざしてみると、3次元のホログラムの顔がゆらゆらきらきらしている。きれい。
電子マネーが主流になりつつあるが、わたしはまだできるだけ現金で支払いをしている。だから新札を手にするとわくわくするけれど、若者は違うのだろうか。
こういう「わくわく」を忘れないひとでありつづけたい、と思いながら大事にジップロックに北里さんをいれた。
7月25日(木)
LINEを送るとき、気づけば挨拶がわりに顔が溶けたような絵文字や、アイスが溶けたようなスタンプを使うようになっている。
あと何ヶ月何回ぐらいこの絵文字とスタンプを使うのだろう。
午後から祖母の家へ行くと、祖母がシロクマアイスをくれた。
祖母は朝から2本もアイスを食べていたらしく、さらに小さいスーパーカップを取り出そうとしていたので、「ええーおばあちゃんお腹冷えるよ、やめときー」というと、「そうか?ほんならやめとくわー」と自分で熱い緑茶を淹れていた。
例のLINEの絵文字やスタンプを使わなくなったとき、もう蝉は鳴いていないのだろうし、アイスも欲しくないのだろうなあと考えると、「なんだか本当にあっという間だなあ、夏って」と思う。
今のうちに美味しいアイスをたくさん食べとこう。
7月26日(金)
出勤前、部屋の隅からぴょんぴょん小さな蜘蛛が現れる。
そのままほったらかしていこうかと思ったのだが、なんだかほっとけない。
そのへんにあったA4のチラシをうまくつかって蜘蛛をベランダ逃がそうとしたけれど、なかなかそのチラシにのってくれない。
「ほっ、ほっ、おい、こっち、こっち」と言いながら必死になんとかのせてベランダに逃したら、広い廊下の上をシャコシャコ足を動かして、まだ旅に出た。
急いで出勤準備をして、自転車に乗る。
ちょっと青すぎる空と雲が広がっていた。
7月30日(火)
目を開けるよりも早く耳から蝉の声が入ってきて、朝が来たのはわかるけれど、今何時だろうと時計を見ると6時前だった。
普段はこんなことを思わないけれど、軽く着替えて散歩することにした。
「蝉は早起きだなあ」と心のなかでつぶやくと、その声に答えるように、蝉の鳴き声がますます大きくなる。
しゃーしゃー鳴くけれど、わたしはなぜか蝉の声をそこまで騒音と思ったことはなくて、なんなら思い出したくないことや嫌なことをかき消してくれる心地よい音に聞こえることがある。
なぜだろう。精一杯自分のいのちを生きている音、だからだろうか。
「都会のほうがうるさいっていうけれど、田舎の自然のほうがうるさいわよ」とラジオでにこやかな声で言っていた人がいたけれど、こういうことなのかなあなんて思った。
散歩中にすれ違った女の人は、下を向いて耳をふさいでイヤホンをしていた。
蝉がうるさいのだろうか。
7月31日(日)
19時ごろピンク色と水色のマーブル模様の空が美しくて、思わずスマホを取り出して空にかざす。
帰宅ラッシュのなか、ひとりで優雅に空の写真を撮るのが恥ずかしくて、人が少なくなる頃合いを見計らっていたのだけど、なかなか訪れない。
迷いながら「ええい、もうどうとでもと思ってくれ!」と思って空の写真を撮っていたら、隣に女の人が立った。
その人も空にスマホをかざして、ちょうどカラスが空高く飛んでいたところでシャッターを切ったようだ。
きっといい写真が撮れたのだろう。彼女はにんまり笑って、また自転車に乗って去っていった。
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追伸:
先日(といってもめちゃくちゃ前だけど)書いた記事が注目記事に選ばれて多くの方々に読んでいただけて大変嬉しいです。本当にありがとうございます。
ありがとうございます。文章書きつづけます。