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一票のゆくえ

7月10日。

「やっぱり行っとけばよかった」と期日前投票に行かなかったことを後悔しながら、選挙に行く準備をだらだらしていた。面倒くさい、非常に面倒くさい。

外は「太陽で目玉焼き焼けるやろう、なんやったらベーコンも一緒にカリカリに焼けるんとちゃうやろうか」というぐらいのカンカン照り。アスファルトがよく熱されているのが、外に出なくてもわかる。

これではわたしもカリカリに焼けてしまう。こんな中、自ら熱されにいこうと、楽しくて外に出る人は、とても変わった人だと思う。暑いというだけで外に出たくないという気持ちが湧き上がるのが、人間というものではないのか。


会場は近くの小学校。それが別に近くもなく、微妙に遠い。この微妙に、というのがクセもので、思いっきり遠かったら「よし、期日前投票に行っとこうかな」なんてなるのだけど、「あぁ、まあ明日でもいいか」と思える距離だから困る。だから今日まで先延ばしにしてしまった。はあ、と、ため息がとまらない。


そういえば、どこかの国では選挙に行ったら、オレンジジュースがもらえるそうだ。このオレンジジュース目当てに投票に行く人も少なくないとか。日本もそうしたらいいのに、と思う。


ただ、「そんなに面倒なら選挙にいかなければいいじゃん」とはなれない。一応選挙権が与えられた20歳から、毎回行っている。なぜか。変に馬鹿真面目なところがあるから、ということもあるけれど、選挙権は数少ない、「自分が自分であることを認められている権利」であり、「文句や不平不満を言ってもいい権利」だから。なので、「とりあえず投票に行かないと、文句言えないしな」と思って行く。


そもそも選挙権は、お金持ちの25歳以上の男子にしか与えられていない権利だった。富裕層以外は色々不平不満があっても、それを言うさえことさえ許されず、そんな自由すら、与えられていなかった。それが今は男女ともに権利を与えられていて、今は18歳から文句が言える。しかもタダで。お得じゃないか。


偉そうなことを言ってしまったが、白状すると、20歳になってから何年間か「どれにしようかな 天の神様のいうとおり」方式で投票していた。だってよくわからない。みんな同じに見える。わたしが投票したところで、何も変わらない。そう思っていたから。

⭐︎

暑い中、投票所に着いたら、大きな大きな扇風機が回っていた。町ごとに分かれていて、名前を確認される。ビーッと自動で出された用紙に、候補者の名前を書こうと、使い捨ての鉛筆を握る。


この一票は、候補者の血となり、肉となる。

ふとそう考えると、ちょっと怖くなった。もちろん、一票は希望である。けれどもその一票は、希望にならないことも多い。それは今すぐにわかることじゃない。


希望への一票でもあり、もしかしたら戦争への一票にもなるかもしれない。


さすがにもう「天の神様のいうとおり方式」で投票はしていないけれど、のちのち自分の一票が、どんなカタチで誰の血肉になり、国というのが造られていくのかと思うと、恐ろしくなった。


リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉をのこしている。

世の中は簡単に変わらない。結局変えることができるのは、自分だけだから。ただ、助けてって言ったときに、助けてほしい。個人ではどうしようもないこともたくさんある。そのための投票であり、選挙だ。


七夕の短冊に願いを書くように、候補者の名前を書いた。それを4つ折りにして、投票箱に入れる。 

世の中がよくなりますように。平和になりますように。

願う相手は神様ではなく、人間である。

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あっという間に投票は終わった。記念に「投票済証」をもらって出た。

帰りに美味しいパン屋さんに寄って、やきそばパンと、あんずジャムのクリームパンを買った。この暑さだからか、帰る頃にはあんずジャムのクリームパンはちょっと上のところが溶けて、ベチャベチャになっていた。ビジュアル的には美しくないけれど、それでも少し冷やして食べると、特に変わらず美味しかった。

こんな幸せが続けばいいなあ、と思った。



ありがとうございます。文章書きつづけます。