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そうだ、宮城に行こう!〜仙台から川渡温泉まで〜⑧

●宿への帰り道で見たものは…

つい1時間ほど前。雪の中を這々の体でお店にたどり着いた時は、「もう無理…帰りは絶対タクシー呼ぶ…」と心が折れまくっていたのだけれど。美味しいお昼ごはんのおかげでだいぶ気力も体力も回復したので、帰り道も歩くことを決意した。

お店の方からも「高東旅館へ戻るなら、この道の方がちょっぴり近道になる」と教えていただいて、それならと来た時とは違う道を通って帰ることに。

歩いて帰ることにして良かった、と今でも思う。生まれて初めて"雪煙"というものを目にしたこの時が、この旅の中で1番興奮した瞬間だったからだ。開けた視界のそこかしこで風に巻き上げられ、雪が舞う。

雪で風が可視化されている。
ものすごいスピードで地を滑るように這っていったかと思うと、突然に高々と巻き上げられる。

道沿いには"薬師田の杉・榎"という名所があり、こんもりとした大きな木々だけでも迫力があるのに、さらにそこを雪煙が駆け抜けていく。

雪がそこかしこで踊り狂っている。それもテレビやスマホの画面を通してでは無く、眼前で肌にそれを感じながら体験しているのだ。「こんなの…すごい、すごい、うわあああ…」とこの光景に完全に魅了され、しばらく立ち尽くしてしまった。


●体験は至高、でも記憶のトリガーは必要

ゴウゴウという風の音と共に足下を這うようにして雪煙が滑ってくる様は、自分にとってまさに非日常で。振り返ると、もっとしっかり動画で残しておけば良かった…と思う。

その一方で。写真でも動画でも、体験そのものとは比較にならない…とも感じる。やはりこの身で、五感を通じて味わったものとは比べようも無いのだ。

かといって、それは写真や動画が無意味だということではない。記憶をリアルに蘇らせてくれるのは、こういったきっかけがあるからこそだ。普段は積み重ねられた記憶の山の底に埋もれていたとしても、このようにトリガーとなるものがあれば容易に掘り出すことができる。

だからこそ。この目に焼き付ければ、この身でしっかりと味わえれば、それで良い…などとは思っていない。人間は忘れる生き物で、時間の地層は想像している以上に厚い。どれだけの感動だったとしても、新鮮さだったとしても、思い出せなくなる日は来る。

そんな日のために、未来の自分のために、写真は必要なのだ。あれから1年以上経ってこれを書いている今だからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。撮っている時の自分ではなく、いつかの自分のための記憶の貯金箱…写真のことは、そんな風に思っている。


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