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鼻水の止まらなかった、写真展の話

2023年8月27日まで開催されている、「広島の記憶」の展示を見ての感想を残しておく。広島県に生まれ育ち、平和教育には触れてきた方だったけれど…とても心に残る写真展だったので。


まず最初に見て欲しいのは、原爆投下前の原爆ドーム。入り口にあった展示には撮影可のパネルがあったので、気になった2枚をスマホでパチリ。

この1枚は広島初のイルミネーションで輝く、壮麗な在りし日の原爆ドーム。今の無惨な姿からは想像できない、華やかなりし頃の姿が印象的。

もう1枚は。長く十日市近辺で暮らしていた自分には馴染み深い、相生橋からの見慣れた景色。見慣れているだけに、この市電と橋と原爆ドームと街の風景が、現在と似て非なるものだとよくわかる。


この展示の序盤では、こんな風に。明治から何十年と軍都として栄え、一時は大本営がおかれて臨時首都ともなった当時の広島の賑わいが、何枚もの写真や資料で語られていて。
現在はどこにも残っていない建物ばかりの街並み、そこを行き交う人々、そういった光景を目にすることで。かつての広島がどのような場所であったかを想起させてくれる。

だからこそ、在りし日の広島の姿を先に目にしていたからこそ。原爆投下直後の焼け野原となった光景を見た時の衝撃が、すごかった。

この街並みはすべて跡形もなく吹き飛び、ポツリポツリといくつかの大きな建物の残骸が残るばかりで。上の2枚目の写真の街並みと、下記のリンク先のまさに焼け野原とでも言うしかない光景を見比べてもらえば。全てが吹き飛んだ、という意味も。それを写真として目の当たりにすることで受けた衝撃も、少しはわかってもらえるのではないかと思う。


原爆投下直後の広島に足を踏み入れ、被爆者手帳を持っていた祖父は。子供にも孫にも、決して原爆の話はしない人だったけれど…その祖父の気持ちが少しだけ、わかるような気がした。

写真で見るだけでこれだけの衝撃があったのだから、目の当たりにしたのであれば…それはもう言葉に収まり切るような思いではなかったのかもしれない。言葉という薄っぺらいもので語れるとは到底思えなかったのではないか…と。初めて僅かながらの実感を持って、そう思えた。

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今回の展示の中で1番印象に残ったのは、土門拳さんの「ヒロシマ」だった。
原爆投下から12年して、初めてこの地に足を踏み入れて。いかに何も知らなかったか、何も知らされていなかったか…ということに衝撃を受けて撮影された作品。

時が経ち、街並みが復興されても。それで終わりではまったくなかった。原爆被害に遭い、拭いきれない傷跡や病と共に生きる人達がいる。顔や身体に広がるケロイド、何度も繰り返される皮膚の移植手術、終わりの見えない下痢や吐き気といった体調不良…

12年という時が経っても、原爆症により人が死に続けている。当時生まれてもいなかった、胎内被曝したこどもが理不尽に短い生を終える。「ヒロシマ」は、原爆被害は、終わってなどいない。これだけの時が経っても、この地ではまだ現在進行形で続いているのだという事実。

それが当時の広島の当たり前だったのだ、という事実を突きつけられる。

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彼の撮影した「被爆者同士の結婚」という、こちらのリンク先に掲載のある写真についても少し語りたい。ちょうど自分がこのブースを見ている時に、写真に対しての解説が始まったのだけれども…


今回の展示でこの写真を使うかどうか、スタッフの方も迷われたのだという。撮影者の冗談で引き出されたこの笑顔の写真は、原爆の惨禍を伝える展示にはそぐわないのではないかという懸念。それでも「未来への希望を象徴する1枚としたい」と言う思いから展示を決められたそうだ。

そしてこの写真が、展示を紹介する記事と共に新聞に掲載され。それを目にした、写真に写っているこどもである娘さんから連絡がきて。この展示にも足を運ばれたそうなのだけれど…
その際に彼女が語った中で「こんな笑顔が、その後のわが家にいつもあったわけではない」という言葉があったという。

その言葉が胸に迫った。現実や生活というものは決して「そうであって欲しい」と望むような、御伽話の終わりにあるような「めでたしめでたし」ではない、という当然の事実。ひどいケロイドを負い、原爆症への差別もあったであろうあの時代を、それでも生きていかねばならない過酷さに思いが至る。

その一方で「両親の幸せな一瞬を残してくれたこと、それを目にできたことへの感謝も口にされていた」とも語られていて。写真になったからこそ残せる、一瞬を切り取る写真というものに対しても考えさせられた。
自分がご家族の写真を残す出張撮影カメラマンとして働いているからこそ、写真の持つそういったある種の救いのような側面には、どうしても心を揺らされてしまう。

写真から伝わるもの、写真からだけでは伝わらないもの、その両方共が真実で。たまたま解説を聞く機会に恵まれなければ、この写真に対する記憶や印象はまったく違うものになっただろう。そういうことを踏まえて、この展示で1番記憶に残る1枚となったのはこの写真だった。

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広島県に生まれ育ち、ことあるごとに平和教育を受けて育った自分でも。色々と考えることや思うことがあって。
この地でどのようなことがあったか、実感を持って知ることも。原爆というものの恐ろしさは全てを吹き飛ばしたその威力だけではない、生き残った人の人生すら粉々にしかねない呪いのようなものであったのだ…ということも。たしかに知っていたはずなのに、よりリアリティを持ってそれが迫ってくるような展示だった。

もう後、数日の会期しかないのだけれど…機会があればぜひ、泉美術館に足を運んでみて欲しい。

そしてその際はぜひティッシュとハンカチをお忘れなく。涙を堪えようとすると湧き出る、鼻水との戦いがあなたを待っていると思うので…

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