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その他地質と熊野神社【ジオ散歩vol.2:鎌倉市No.1-8】

「市街地を実際に散歩しながら地形・地質を楽しむ」シリーズ、ジオ散歩。
今回は、鎌倉市の朝夷奈切通編の最終回になります。

地質色々

前回は斜交葉理を見ましたが、他にも地質的な現象を見ることができました。まず1つ目は・・・

朝夷奈切通沿いの露頭①:筆者撮影

これです!
と言われても「え?何?」ですよね(;^_^A
ここは国指定史跡なのでハンマーで割ったりなど詳しい観察ができないので断定はできませんが、この写真の地質は凝灰岩砂岩と考えられます。

この写真を見て、何か気になることはありませんか?

上の方が出っ張っていて、真ん中あたりが凹み、下はまた少し出っ張っていますよね?

朝夷奈切通沿いの露頭①-2:筆者撮影写真に一部加筆

黄色矢印が大きく出っ張り、赤矢印がへこみ、青矢印が少し出っ張り
になっていますよね。

これがまさに差別侵食です。
堆積岩類の場合は、一般的に、粒が大きいほど硬く細かいほど軟らかいので、このような凹凸が生じます。

朝夷奈切通沿いの露頭①の拡大:筆者撮影

拡大写真です。
上半分が1つ前の画像の黄色矢印範囲です。
直径数cmのゴツゴツした岩のカケラ状のものが入っていますよね。これは恐らく軽石と考えられます。
粒が大きいため、下の細粒砂岩(おそらく)より侵食に強いのです。

そして、もう1つは・・

朝夷奈切通沿いの露頭②:筆者撮影

これです!
何か気づきませんか??

そう、写真左上から右下へ斜めにスパッとした切れ目が見えませんか?
そしてその線を境にした左右で、地層がつながっていませんよね?

これが断層です。
詳細な観察ができないので左右の地層を比較して、どれとどれが同じ層か分からないので、どの程度ズレているかは不明ですが。

また断層は「スパッとした切れ目」であるため、断層としてズレ動いた距離や回数は非常に少ないと思います。
というのも、地震を引き起こすような断層、あるいは過去に何度も活発に動いたような断層には「断層ガウジ※1」と呼ばれる、ある程度の幅を持った層ができるからです。
(※1断層ガウジとは断層運動によって破砕された岩石の層です。断層の動き具合によって、角礫だったり粘土であったり様々です。)

以上のように、ちょっとした地質の知識があれば、「ただの岩」ではなく、色々なことが分かって少し楽しいと思いませんか?

熊野神社へ

今回のゴールである「熊野神社」へ行きましょう!

朝夷奈切通周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

前回の斜交葉理の露頭は上図の黄色丸のあたりです。
このあたりが峠になっていて、東へ向かって徐々に下り坂に変わります。
上図の「朝夷奈切通」の「切」のあたりが市町村境で、これより東が横浜市です。
青線が朝夷奈切通で「通」のあたりの赤線が熊野神社への道です。

熊野神社入り口:筆者撮影

ここが入り口です。
前日の雨でちょっと道が荒れてます。

熊野神社入り口の看板:筆者撮影

この看板では少々難しかったのでネットで調べてみました。

正式名称は朝比奈熊野神社(あさひなくまのじんじゃ)だそうで、峠より西が「朝夷奈」、東が「朝比奈」のようです。

そもそもは源頼朝が鎌倉幕府の鬼門にあたるこの場所に熊野三社を勧請(かんじょう)したのが始まりです。
勧請とは「もともと神様を祀っていなかった場所に神様に来てもらうようにお祈りすること」だそうです。
頼朝公は当時の権力者ですから、当然、御家人を集めて宮司を呼んで祈祷したのでしょうね。

でも当時は切通がなく、後の三代目執権の北条泰時朝夷奈切通を建設した際に、熊野神社も建立されたようです。

熊野神社への道中:筆者撮影

途中の道すがら、リスを見かけました♬

熊野神社①:筆者撮影
熊野神社②:筆者撮影
熊野神社③:筆者撮影

静かで、荘厳な雰囲気を感じる空間でした。
ぜひ、みなさんも足を運んでみてはいかがでしょうか?

全8回にわたってのシリーズでしたが、いかがでしたか?
源頼朝、梶原景時、上総広常等の武将たちの歴史にまつわるエピソードに加え、地形・地質も含めて思いを巡らせる散歩も、たまにはいかがでしょうか?

お読みいただき、ありがとうございました。


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