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あれから11年

どこからともなく鐘の音が聞こえています。ここは仙台市。
3月11日が、こんなに特別な日になるなんて、以前は少しも想像できませんでした。
11年前のあの日はまさに、私たち日本人にとって「昨日までと全く違う世界に来てしまった」と言っても過言ではない、ターニングポイントの日だと言えるでしょう。
実際に、そのようなことを言っていた人がたくさんいました。

当日はどこに?

当日、私は山形県南西部の新潟県との県境の小国町にいました。当時の私は「山形支店」勤務で、山形県内の林野庁所管の地すべり現場の報告書を納品しに行っていました。
打合せの途中で地震があり「普段は地震が少ない小国町にしては大きめの地震だ。もしかしたら大地震なのでは?」と、役所の人がすぐにテレビをつけました。

すると東北の太平洋沿岸が津波警報で真っ赤になっていて、宮城県北部の栗原市が震度7、仙台市は震度6強・・・。

生まれて初めて、目の前が真っ白になりました・・・・。
当時、実家は祖母が1人で、近所から叔母が通っている状態でした。咄嗟に携帯で家へ電話するも、もちろん通じない。
うろたえる私を見て察してくださった役人さんが「国の電話は普通の回線より通じやすいので、どうぞ、使ってください」と。非常にありがたかったのですが、それでも残念ながらつながりませんでした。

事が事だけに、打ち合わせは中断し、山形市の支店へ戻ることに。
私は普段、動じないタイプの人間なのですが、さすがにこの時は違っていたようです。同行した上司が運転してくれました。

その道中で叔母からメールが!

「おばあちゃん、私、生きてます」

まずは一安心しましたが、その後は一切、連絡はとれませんでした。


そして11年

まさか、その後の11年が経過する間に、こんなにも色々なことがあるとは思いもしませんでした。ずっと災害復旧の仕事に携わったからこそのカルチャーショックといいますか・・。
東日本大震災は、今の私に至る要素の1つなのは間違いありません。

まさか自分が本を出版することになり、note公式でこのように取り上げていただくことになろうとは。
そういえば、発売日は12月でしたので「震災から10年」の節目に出せたのですね。今、気づきました(笑)

上記の記事では本のプレゼント企画もありますので、読んでいただけると嬉しいです。

私にとっては何ともムズ痒いというか(笑)
このように客観的に自分を見る機会をいただいて、まず思うのは「丸いなぁ・・・(-_-;)」ということ(笑)
うつで休職する前は過食でかなり太ったのですが、休職中は逆に食べられなくなり、1年で20キロくらい痩せたんですよ。
動かない食べないでの異常な体重減少だったのもあり、体力が異様に低下。
これはマズイ!と意識的に食べるうちに、あっと言う間に過食時の体重に(;'∀')
と言うことで、今後はたくさん動いて適正体重を目指します!!


震災エピソードの続きは、またの機会にでも。
お読みいただき、ありがとうございました。

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