「上総広常」は故郷で散った?!【ジオ散歩vol.2:鎌倉市No.1-6】
「市街地を実際に散歩しながら地形・地質を楽しむ」シリーズ、ジオ散歩。
前回は鎌倉時代に梶原景時が上総広常を斬った刀を洗ったとされる太刀洗水と朝夷奈切通入り口の三郎の滝を紹介しました。
今回は先を進む前に、周辺地域の地質について確認しましょう。
地質は?
前回までの現地写真でも分かるように、このあたりは砂岩や泥岩で、層理面が良く発達していますよね。
例えば・・・
このように、水平方向にいくつもの「スジ」が見えます。
これが層理面や葉理面です。
赤丸が現在地(入り口)、赤矢印がこれまで歩いたルート。青矢印がこれから歩くルートです。これを地質図に切り替えると・・・
こんな感じです。同じ緑色系統ですが、ちょっと違いますよね。
どちらも海に堆積した砂岩・泥岩ですが、時代が違います。
これまで見てきた地質は、新第三紀の後期(約720万~258万年前)。
そしてこれから見る東側の地質は、第四紀更新世ジェラシアン期~チバニアン期(約258万~13万年前)です。
つまり、これから未来に向かって進んで行くわけですね。
なお地層名で言うと、西の新第三期の地層は三浦層群の池子層。そして東の第四紀の地層は、上総層群の浦郷層・・・そう、なんと「上総」層群なのです!!
地層には、それが分布する範囲の代表的な地名を名前にするので不思議なことではないですが、鎌倉に分布する地層が上総層群というのは興味深いですよね。
これは、20万分の1地質図を見ると一目瞭然です。
赤線で囲ったのが上総層群の分布域です。房総半島から三浦半島の付け根にわたり、広く分布しているのですね。
上総広常の本拠地
上総広常の本拠地の館の場所については諸説あるようで、現在の千葉県東金市、一宮町、いすみ市が有力候補のようです(ウィキペディアより)。
上図の赤丸が上総国での本拠地(仮説)で、青丸が朝夷奈切通の位置です。
私が確認した限りでは、どの説も上総層群の分布域でした。
そして鎌倉での館は、一説では朝夷奈切通のすぐ近くの十二所果樹園(じゅうにそかじゅえん)のあたりだったと言われているようです。
その十二所果樹園の場所は上図の青丸です。
まさに上総層群の分布域でした。
地層が同じだからって、どうなの?・・と思う人もいらっしゃるでしょう。
しかし地層が同じであれば、山や谷の侵食の進み方は似通ったものとなり、山地の高さや形状、谷筋の規模なども似たものになるでしょう。
また土地の表層を覆う土砂の材料も同じですから、風土も似た傾向になりそうですよね。
非業の最後を遂げた上総広常でしたが、故郷と同じ地層の上で、故郷と似た景観・風土の中での最後だったのであれば、少しは浮かばれるかもしれませんね。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回はコチラ👇
参考文献
竹内圭史・及川輝樹・斎藤 眞・石塚 治・実松健造・駒澤正夫(2015)20万分の1地質図幅「横須賀」、産総研地質調査総合センター.
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