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アッチに流れてたハズが、ソッチなの???:篠山川の意外な歴史part2【地元再発見の小旅行vol.9】

前回篠山川の変な流れ方についてお話ししました。
今回はそのナゾに迫ります!
トップ画像は「いらすとや」より。ちょっと可愛いですよね(笑)
たまにはこういうのもいいかな?と(笑)

谷中分水界と武庫川

疑問に思って調べてみたら、地形学者や地質学者が色々と調査・研究していました!やはり疑問に思ったのは私だけではなかったのですね!
キーワードは谷中分水界(こくちゅうぶんすいかい)と武庫川(むこがわ)です。

谷中分水界とは山ではなく谷の途中で水の流れが分かれる場所のこと。
前回「変だ」と言ったあの場所です。コレですね。

篠山盆地南の谷_西02

そして武庫川とは、上の分水界の南側の川である田松川が下流で合流する本流の川です。
全体的に南東方向に流れ、六甲山の北を通り、宝塚市、尼崎市を流れて大阪湾に達する河川です。

少し古い地層を探る

篠山川と武庫川の流れ方がおかしいと考えた学者さん達は、少し古い地層を調査します。
つまり昔の篠山川と武庫川はどうだったのか?を知るためです。

まずは広い谷を埋めている礫層がどうなってるか?
礫層は簡単に言えば昔の河原です。川が大きいほど広い川原がありますよね。そして当然、厚さ(深さ)も川が大きいほど厚くなります。

でもこの地域の礫層、なぜか上流ほど厚いのだそう。

礫層層厚比較位置図

右図は「加藤(2006)」より引用

つまり、この礫層が溜まっていった時代には、武庫川は南から北へ流れていた可能性を示しています。

次は篠山盆地の西側の礫層です。
例のムリヤリ西に流れている場所に、少し古い礫層があるのですね。
この石ころの向きを調べた結果、なんと昔は東に流れていたらしいのです!

川尻渓谷インブリケーション

昔の川の流れ:野村(1984)のデータをもとに筆者作成

麓屑(ろくせつ)面と弁天黒土(べんてんくろつち)

麓屑(ろくせつ)面とは、山の麓に岩屑(がんせつ)が溜まってできた面のこと。つまり山の岩が崩れてバラバラになって溜まった堆積物です。
地震や大雨の影響で山が崩れると、その土砂や岩のかけら(岩屑)は普通は雨や川の流れによって少しずつ流されてなくなります。
でも硬い岩石は細かくなりにくく、大きいままなので流れにくく、いつまでも残るのだそうです。そうやってできた斜面を麓屑面といいます。

閉塞箇所

この麓屑面、篠山盆地の周辺に見られ、特に多い場所が上の地形図の赤丸の場所。この場所で川が堰き止められたのではないか?と言われています。

そしてもう1つのキーワードである弁天黒土(べんてんくろつち)。
これは篠山盆地とその周辺に見られる黒い粘土で、丹波立杭焼(たんばたちくいやき)または丹波焼と呼ばれる陶器の材料になります。
この弁天黒土、湖沼や湿地にたまった泥や粘土です。つまり、篠山盆地一帯が湖だった時代があったらしいのです!

そして川を堰き止めた時期と弁天黒土がたまり始めた時期は、どうやら同じ時期らしいのです。

篠山盆地・篠山川・武庫川の歴史

以上や他の証拠から、こんな歴史が考えられています。

①:約2万5千年前より前は篠山盆地から武庫川へ川が流れていた。
こんなイメージです。

川の流れ_2万5千年前以前

野村(1984)と加藤(2003)をもとに筆者作成

②:約2万5千年前に武庫川が堰き止められ、水はけが悪くなった篠山盆地が湖沼になった。

古篠山湖_2万5千年前

野村(1984)と加藤(2003)をもとに筆者作成

③:約6300年前に湖の水位上昇などにより西の川代渓谷方面に水があふれ、篠山川が西へ流れるようになる。
篠山川による水の流出により湖は湿地になり、その後、武庫川上流部が北へ流れた。

湿地_6300年前

野村(1984)と加藤(2003)をもとに筆者作成

④:篠山川に削られて川代渓谷が低くなり、現在に至る。

武庫川が堰き止められた原因は?

そう、気になりますよね。いったい何があった?
これについては、まだ研究中らしくハッキリ分かってはいませんが、「おそらく直下型地震が原因の山崩れでは?」と考えられているようです。
と言いますのも・・・コレを見てください。

画像8

今までお見せした画像で、既に気になってた人もいると思います。
そう、やけにまっすぐな地形、ありますよね。

古市リニアメント

これです!
コレ、古市リニアメントと呼ばれています。
リニアメントとは地質的な何かが原因でできた直線状の地形のこと。
おそらく断層なのですが、確実な証拠がない場合にこう呼ばれます。
まだ研究中でハッキリしませんが、武庫川が堰き止められた時期と同時期に、この古市リニアメント沿いで断層が動いたっぽいらしいです。

つまり直下型地震がおこり、山が崩れ、川を堰き止めたかも?なのです。

ちなみにこういうことは実際に起こっています。
2008年に起こった岩手宮城内陸地震は直下型地震で、これによってあちこちで山が崩れ、川が堰き止められました(※当時技術者だった私も調査に行きました)。


いかがでしたか?
篠山川の流れが変じゃない?と調べてみたら、篠山川や武庫川の川の流れが逆向きになったり、篠山盆地が湖になったり・・。
しかもその原因は直下型地震による山崩れだったかも知れません。
そんな激動の歴史があることがわかりました。
当時住んでいた人々にとっては災害以外の何物でもないですが、そのおかげで陶器の材料になる粘土がもたらされたのですね。

ちなみに、この激動の歴史による恩恵はもう1つあります。
それについては、また次回にでもお話しします。

お読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

野村亮太郎(1984) 加古川上流部,篠山盆地における河川争奪現象,地理学評論,57(Ser. A)-8,P.537~548

小村良二(1996) 日本の陶土を訪ねてーその6-丹波立杭焼(兵庫県),地質ニュース503号,p.16-22

加藤茂弘・小林文夫・佐藤裕司・森永速男(2003) 兵庫県東部,武庫川上流沖積低地の発達過程(予察),人と自然 Humans and Nature,No.14,p.1-10

加藤茂弘(2006) 武庫川の不思議な地形と地質,武庫川散歩 江崎保男編,人と自然特別号2,兵庫県立 人と自然の博物館,p.37-51.

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