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足るを知りすぎたのか はたまた強欲なのか

天気がいいとか、ご飯が美味しいとか、よく眠れたとか、家にある観葉植物がいつの間にか成長していたとか、ご飯が美味しいとか、野良猫を見かけたとか、アロマキャンドルがいい香りだとか、ご飯が美味しいとか、ご飯が美味(自重)
とにかくそういった些細なことで幸せを感じられてしまうので、もっとこうしたい!みたいな欲があまり湧かない。

「健康で美味しいご飯が食べられたら幸せ」
が私のベースであり欲望のウエイトの多くを占めているので、「じゃあそれ以外に何がしたい?」と言われると「うーん、、、?」となってしまう。

もちろん「健康で美味しいご飯を食べる」ためにはお金が必要なので労働も必要なんだけど、外に出たらむしろ体調を崩すこともあるし、今のところ貯金もあるしで、もうこれで良いのでは?となってしまって意欲が湧かずにいる。


まあそもそも理想のテンションとしては、義務感からくる「働かなきゃ、、」ではなく、純粋な「働きたい!」という衝動なんだけど。
そんなこと言ってたら更にハードル上がるよな。
贅沢なことを言っている自覚はある。
「足るを知った」と言いつつ、実はめちゃくちゃ強欲なのかもしれない。




ここ数年でそういう純粋かつ熱量の高い衝動が湧き出たのはいつだろう?と考えると、一昨年の推しのラストツアーで往復12時間かけて北九州まで行ったときと、正社員時代に会社側のワ○チンに対するスタンスに物申したとき。

やらない理由がなかった。やる一択。
この機会を逃したら、もう二度と「モーニング娘。の加賀楓さん」及び「加賀楓さんのいるモーニング娘。」は観れなくなる。
ここで私が声を上げなかったら、この会社で働いてる人もこの会社も大変なことになる。

気付いたら身体が勝手にチケットの申し込み手続きをしていたし、気付いたら身体が勝手に説明のための資料作成をしていた。
"そういうやつ"を求めてる。


こうしてnoteを書くという行為は、比較的"そういうやつ"に近いかもしれない。
だって別にお金になるわけでもないし(笑)、1記事書くのになんだかんだ1時間近くかかる。
なのになんでそんなことやってんの?って言われたら、わりとこれは純粋に「やりたいから、書きたいから」なのだ。
"そういう仕事"、なんかないかなあ。






、、、などと考えながら加賀楓さんの出演するミュージカルの再演チケット代(約16,000円)を迷うことなくサクッと支払ってしまうのであった。
まだ4ヶ月以上先だけど楽しみ!!





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