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人助けって何だろう?

困ってる人を救うのは人助けだ。

では困ってる自覚がない人(もしくは本当は困ってるが見栄で困ってないという人)を救おうとすることは人助けか?偽善か?

人は納得感がないと行動を起こさない。

例1: 激しいパワハラを受けていても、自分はパワハラを受けるに値するほど価値のない人間だとか、パワハラされることが愛されている証拠だなどと思っていたら環境を変えようと思わないだろうし、その人がアクションを起こさなければ外部に知られることもない。

例2: どう見ても怪しいネットビジネスにのめり込み過度な勧誘を行って古い友人の信頼を失い、多額の借金を抱えていても、オレオレ詐欺に騙されていても、本人が自分は正しいと思っていれば周囲がなんと言おうが聞く耳をもたない。

そういった人を救うのは難しい。

そういう人たちに一方的にアドバイス(自分が良いと信じていることを押し付け)しても大抵はありがた迷惑になってしまう。

(タイミングやその人との関係性、問題の程度にもよると思う。)

人生を道に例えると、人は自分の信じる道をひたすら歩いている。自分にはその道の先が見えないけれど、視点が異なる他者からは、その道の先が見えることもある。

自分には見えていない崖の存在に、別の場所からみた他者が先に気づく。

もし自分の信じている道を歩くことが幸福だとすると、その先に崖が待っていようと、それはその人に崖が見えたタイミングでしか救えない。

本人が崖の存在に気がついていないのならば、崖が見えるまで待つのではなく、崖に気が付かせることが重要だ。例えば望遠鏡をかしてあげるとか。

それが困ってない人へのせいぜい自己満足の人助けだろうか。

自分に見えた崖が幻想だった、なんてこともあるだろう。

人を変えてあげようなんて傲慢で偽善なのかもしれない。

人の生き方に口出しすると、自己満足だと分かっていてもつい期待してしまって、思い通りにならなかったら結局自分が傷つく。当然相手にも不快な思いをさせる危険性がある。

だから自分の人生に直接関係のない人、つまりどうでもいい人を全員救うことは出来ないと思った。

自分にとって大切な人の進む先に崖があることを知ってしまったら、まず助言を小出しにして様子見て、救えそうならさらに助言をする。という方法がベストかもしれない。

◯まとめ

人は自分の信念に従って生きているので、無理に変えようとしない。

誰かにアドバイスをする際は所詮自己満足であるということを留意する。

自分が傷ついてもいいと覚悟を持てるほど大切な人だけを救う。(救おうとする)


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