ひとより愛が重いことを恥じてきたけど
どうやら私は、コンテンツ(小説、映画、ドラマなど)に対する愛が平均よりもすこし多い(またはちょっと方向性がマジョリティと違う)ようだ。最初にそう思ったのは小学生のとき。
当時の私は、ハリー・ポッターとライオンキング、そしてレ・ミゼラブルに夢中だった。そのどれもを心から愛していた。ハリポタの最新刊が出たら、母の電子辞書を借りて翻訳を試みた。シンバの絵を描き、アンジョルラスになりきって「民衆の歌」を歌った。私にとって、作品に溺れる時間こそが幸せだった。
だけど、まわりのみんなの目に、私の姿はどうやら奇異なものとして映っていたらしい。女の子の大半はモー娘。を踊っていたし、男の子はハリポタを「ハリー・ポッチャリ」と揶揄していた。私の部屋にはレミゼのポスター(有名なコゼットの挿絵のあれ)が飾ってあったのだけど、遊びに来た友人たちからは「え、キモ!」「なにこれこわ!」と言われた。その場では「え、やっぱり?」なんておどけてみたけど、みんなが帰ったあとポスターはそっと剥がした。
幼かった私に、「好みは人それぞれ」なんて大人の解釈は通じなかった。私が抱える作品への愛は、恥ずべきものなんだ。私はもっと「普通」にならなくちゃ。そういう思いだけが残った。
それから、自分の「スキ」をなるべく隠して生きる日々が始まった。
まわりのみんなと仲良くしたいから、辻ちゃんと顔の区別もつかないくせに「加護ちゃんが好き」と言い張った。中学に入ってからは、その対象がジャニーズになったりお笑い芸人になったりした。
その日々が楽しくなかったかというと、決してそういうわけではない。当時の私にとって世界とはすなわち教室のことだったし、教室の中で楽しく過ごせることこそが一番大切なことだった。自分の「スキ」を封印することで、教室の中での平安は手に入った。
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だけど大人になった今、こうしてnoteを書いていて、自分の「スキ」が決して恥じるべきものじゃなかったんだと教えてもらっている。noteのおかげで、自分の素直な感想を言葉にできる場をもらえた。しかもそれをコンテンツ会議などの場所で紹介までしてもらえるようになった。
15年前の自分に伝えたい。あなたのそのコンテンツへの愛は、隠したり消したりしなくていいんだよ。まわりより涙もろくてもいいんだよ。そうやって心が飛び上がったり落ち込んだりする気持ちは、きっといつかあなたを助けてくれる糧になるよ、と。
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