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最新カメラにびっくりした話

今までずっと7年間も入門機を使い続けてきた私が、ようやくフルサイズを買った。私の身の丈には不相応なくらい立派な、SONYのフルサイズ。

こんなちっちゃい体で、こんなことまで出来ちゃうの!と日々感嘆の連続である。

たとえば。

・瞳AF(自動的に人の瞳を検出し、ばしっとピントを合わせてくれる)
・MFアシスト(どこにピントが合ってるか、瞬時に拡大表示してくれる)
・無音シャッター

などなど。

他にも、「背景とろけそうなほどボケる」だの、「レタッチしやすい」だの、恩恵はたくさんある。

だけど、一番驚いたのはそこじゃない。びっくりしたのは、私自身が撮った写真に対して、だ。

入門機で撮った写真と、全然変わってないやんか・・・・!!!!!!


もう、悲しくなるくらい全然変わってない。悲しすぎてここに作例も挙げられない。もちろん、ボケとか色味とかそういった部分の精度は機材のお陰で向上しているけど。そうじゃなくて、写す表情とか、構図とか、光とか、もっと大きな部分の話。

いや、賢い人からすれば、当たり前の話なんでしょう。80円の鉛筆で書く文章と、20万円のMacで打つ文章に、本質的な差がないように。(もちろん写真は、カメラという機械に依存しないとできない表現だから、文章と混同するのは乱暴なのだけど・・)

でも私にとってはかなり衝撃だった。いいカメラを使えば、いい写真が撮れるんじゃないか。そんな淡い期待をやっぱりどこか捨てきれずにいたから。そんなことあるわけないのにね。

ただ、少し時間がたつと、妙なポジティブさも湧いてきた。

「これでもう、上手い人を僻まなくてすむぞ」と。

写真が上手い人が、いわゆる「いい機材」を使っていたとき、心のどこかひねくれた部分で思っていたのだ。「この人はいいカメラ(レンズ)を持ってるから上手いのね」と自分に言い聞かせ、安心しようとしていた。だけど身をもって知ってしまった。たとえ値の張る機材を使っても、知識と経験と努力がなければ宝の持ち腐れよ、と。

私の写真がいまいちなのは、機材(≒おカネ)のせいじゃない。インプットもアウトプットも足りてないからだ!!!!!!

自分の欠点を、こんなに声を大にして嬉しそうに言うかね、とも思うけど。裏っ返して言えば、私が憧れる写真を撮る人たちは、やっぱりすごい人たちだってことだ。世界を切り取る目が。割いてきた時間が。上手くなりたいという熱意が。やっぱりあの人たちはすごいんだ。

カメラ所持歴8年目に突入して、やっとカメラのことを知り始めた気がする。人より遅いスタートになったけど、まだまだこれからだ、と自分に言い聞かせる。


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