高校時代、中山可穂「白い薔薇の淵まで」を読んだ。
初めてその本を手にしたのは、高校生の時だったと思う。中学時代から女の子に初恋をして悩んでいた私は、その時期よく本屋や図書館に赴き、セクシュアルマイノリティ関連の本を読んでいた。今では有名になったLGBTという言葉も、そのとき知った。
中山可穂さんを知ったのは、女性同士の恋愛を書いた小説がある、とネット上で見たからだ。え、そういう小説を書いている作家さんがいるんだ!と俄然興味が湧いた。
普段小説をあまり読まずに漫画を読んでいる私が能動的に小説本を買おうとしたのは初めてだった。夏目漱石のこころも持っているが、あれは課題図書だったからのように思う。(表紙が小畑健さんのイラストだったことにテンションがあがった記憶がある)
国語の教科書に載っていたもので好きだったのは梶井基次郎の「檸檬」である。あの精神的に不安定な雰囲気で綴られる私小説は私の心を震わせた。檸檬爆弾。
話が脱線した。中山可穂さんの作品に出会いたいと思った私は池袋のジュンク堂書店に行き、その作家の本を探した。小説コーナーのナ行の棚を探し、その作家名を見つけて「あった、見つけた」と嬉しく思って手に取った。周りを見渡し、ドキドキしながら棚からそれを引き抜いた。表紙には女性の白い身体が映し出されており、背骨が痛ましい程に浮き出たその表紙に私は息を飲んだ。タイトルは「白い薔薇の淵まで」と書かれていた。その本を私は思わず購入した。
「白い薔薇の淵まで」は恋愛小説だ。
29歳のノンケだった会社員の女性(川島とく子)が、歳下の小説家の女性(山野辺塁)に出会い、恋に落ちる物語だ。この塁がとんでもなく精神的に不安定なのだが、人を惹きつける魅力があるのか、一度恋を知ったとく子は塁から離れられない。
この小説の冒頭に好きな表現がある。
歳を重ねたとく子が異国で塁の本に出会い、かつての大恋愛を思い返すシーンだ。いつか見た映画のセリフを彼女は思い返す。
「帰りたいだろうな地球に。帰れるものなら。帰れるものなら。帰れるものなら。」
帰りたいけど帰れない。恋愛が永続的に続くなんてことはないけれど、それでもあの日々を思い返して帰りたいと願う気持ちは理解できる。でも帰れないことなんて分かっている。でも、でも願わくば。そういったとく子の心情が手に取るようにわかった。
「同性愛者だからといって右手の中指をあからさまに見つめるような人間には塁の話はしたくない」
この文が端的にこの小説を表しているような気がしてならない。同性愛であれ、異性愛であれ、相手を思う気持ちは同じだ。それを同性愛者だからといって途端に色付きの眼鏡をかけ出す相手には話す必要などないし、何より自分と塁の大切な過去を汚されたくないといった気持ちがとく子にはあったのだと思う。あの狂おしいほどの恋愛を知っているのは自分と塁と、あと1人の信頼できる友人だけでいい。
初めて読了したとき、私は放心した。
こんな小説があるのかと衝撃を受け、すらすらと読めた自分にも驚いた。そして性愛描写も高校生の私には刺激的だった。些か大袈裟だが、なんだか読んではいけないものを読んでいる気がした。
率直に、読んでいて苦しかった。恋という感情に振り回され、ひたすらに相手を思うということは苦しい。なんでみんな恋をするのだろう、街中を彩るようにこの世に恋愛作品が溢れているのは何故なのだろう。とずっと思っていた。
だが、この小説を読む前と読んだ後では世界が変わってしまった。
恋愛に夢中になるのは理屈じゃない。ただ相手をひたすらに好きになってしまっただけだ。異性愛が溢れる教室で、私はその頃同級生の女の子に恋をしていた。ずっと男の子に恋をしたい、思春期の一過性のものだったらいいと思っていて、恋バナをしている女の子の輪に自然に溶けこめるようになりたいと願っていた。
けれどこの小説を読んで恋愛対象は大した問題じゃなく、関係を続けることの方が万倍難しいのだということに気づいてしまった。同時に、いいなと思った。相手のために全てを投げ打って恋に生きる、そういうことができる相手にいつか会ってみたいと思った。
川島とく子が幸せだったかどうか、それは彼女が決めることだ。幸せだった日々も確かにあり、喪失感に苛まれた時期もあっただろう。それを超えてある意味冷静に、でも恋人を慈しむ時のような心情で、異国の地で彼女はかつての恋人の著作を手に取ることができた。そこに至るまで、どんなに葛藤があっただろう。
「まず重さを確かめ、表紙をそっと撫で、それから塁の匂いを嗅ぐように本の匂いを嗅いだ」
彼女も塁も有り体に言えばずるい女であり、そしてだからこそ、この小説は私に鮮烈な印象を残した。相手からも自分からもエネルギーを奪い取るような恋愛を二度としたくないととく子は思ったかもしれない。彼女はその後の人生をどう過ごすのだろう。ひっそりとゆっくりと日々を過ごし、時々あの大恋愛を思い出し胸を震わせながら毎日を生きていくのだろうか。
帰りたいだろうな、地球に。
帰れるものなら。
帰れるものなら。
帰れるものなら。
脳内に焼きついたこの4行のセリフが、私を中山可穂の恋愛小説の虜にした。激しく、愛しく、悲しい物語。でもそれは自分を見つめ直す、生き方を考えさせられるエネルギーを持っている。
とく子はこの世界で生きていくことを選んだ。
冬の制服に身を包んで初めて本と対面した10年前。私はまだ高校生だった。
現在、この文章を書いている時期は夏真っ盛り。明日も外からは蝉の鳴き声が聞こえてくるだろう。大切にしたい相手を見つけられないまま、いつの間にか働く社会人になってしまった。何度も読み返したその小説の表紙の表紙は少し擦り切れている。あの寒い冬の日に、池袋ジュンク堂の本棚にいてくれてありがとう。
さて、私はどう生きていこう。とりあえずお風呂に入って、明日は美味しい朝食を食べようか。
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