見出し画像

いじめを発生させない教師とは①〜ノウル(ナナチル)さんの言葉をもとに

画像3

こんにちは!
いきなり、他の方のツイート紹介ですみません。
この、ノウルさんという方をtwitterで知りました。
アダルトチルドレン、と自分を紹介しておられますが、その境遇を乗り越えて、素晴らしい言葉を発信しておられます。
今はこのアカウントは使っておられなくて、ナナチル@アダルトチルドレン
という本垢に戻って発信しておられます。

その生い立ちのゆえに、ずっと生きづらさを抱えて生きてきて、高校の先生の言葉に救われた、と書いておられます。
つまり、それまでに救ってもらえる存在がいなかったとー

親に救われていないなら、せめて小学校の先生が救ってあげられなかったのか、と小学校に勤める者として自責の念にかられました。
また、神戸の教師の中でのいじめ事件もあり、学校の教師に不信感も蔓延しつつあるようです。
でも、そんな先生ばかりではありません。
子どもの目線に立って、どうしたら目の前の子ども達が少しでも人間として成長できるか、心を砕いている先生がほとんどです。

そこで、ノウルさんの発信をお借りして、小学生時代に先生にこういう言葉をもらえてたら、辛い小学校生活を送らなくてもすむ、または、昔小学校で嫌なことがあって、心に傷を負った人がいたら、そういう方たちへのわずかな癒しになれたらいい、と思いこの記事を書くことにしました。

ノウルさんの”批判と悪口について”のツイートより

批判と悪口は違う。
批判は物事を良く導くけれど、悪口は生産性がなく害しかない。
でも残念なのは、至極真っ当な批判をしていたのに、最後に相手の悪口をくっつけちゃう人。
批判だけならスムーズに進むのに、悪口は100%余計だよね。
せっかくご馳走を作ったのに、上から泥をかけるようなものだよ。

<小学校ではこんな場面で起こります>

委員会の話し合い中のことです。
委員長で司会のA君が、
「僕が提案したイベントは絶対面白いよ!だから、これに決めようよ。みんないいよね!」
と強引にその委員会主催のイベントの出し物を決めようとしました。
それを聞いたB君が、
「ちょっと待ってよ。まだ他の人の提案もあるのに、勝手に決めるのはおかしくなない? みんなの意見も聞かなきゃ。みんなで決めるための話し合いだろう。」
(他の人たちも、そうだそうだ、という顔をする)
だいたいA君は委員長になったからって、いい気になってんじゃない?勉強できないくせに、調子に乗るなよ!」」
と言いました。
A君は、顔を真っ赤にして涙を浮かべ、会は険悪な雰囲気になり話し合いは中断してしまいました。

画像1

この状況を分析してみましょう。
B君は、正しい指摘をして批判で始まっているのですが、途中でA君への悪口になってしまっています。
これがノウルさんの言うところの、”最後に悪口をくっつけちゃう人”ですね。
最初は全体のことを考えて冷静に批判しているのに、それで収まらずに感情的になってきて、関係のない勉強のことを持ち出してA 君をおとしめています。

さて、ここで、B君の心理描写をしてみます。

○ 強引に自分の意見を通そうとしたA君は正しくない、と判断し冷静に批判としての意見を言い始める。
● 途中で、他の人たちが自分に賛成してくれているのに気がつき、気持ちが大きくなり、もっと言いたいことを言ってもみんなは賛成してくれるかも、と思い始める。
実は自分も委員長になりたかった。
自分の方が委員長に相応しいのでは?
自分の方がA君より勉強も上なんだから。
だったら、ここでA君の欠点を言えば、みんなはA君よりも自分を委員長として相応しかったと認めてくれるかも?

という意識がB君に現れたと考えられます。(本人は自覚してないかもですが)

さて、ここで他の人もB君に賛成していたら、この委員会は強いことを言った者勝ちの弱肉強食の会になってしまいます。
これでは、委員会の話し合いの目的である、参加者が協力し合ってより良い学校生活を考えることは到底できません。
教師の出番でしょう。画像2

教師はどこでどう介入すべきか?

まずすぐ思いつくのは、険悪になった話し合いへの介入でしょう。
B君のA君に言った暴言が話し合いの場を険悪にしてしまい、ストップしてしまったからです。
何をするかと言うと、まずB君の発言への指導と、A君への謝罪の要求です。
A君の司会はまずかったですが、だからと言って関係のない成績を持ち出してA君の心を傷つける発言をしたからです。
人権教育の視点からも許されません。
ここで介入でしない、またはできない教師は教師失格です。

また、このようになだめるだけの教師もいます。
「あのね、確かにA君は自分勝手に進めようとしたけれど、B君も言い過ぎでしょ。仲良くやろうよ。ね?…はい、じゃ会を進めましょう。他の出し物についての意見はないですか?」
と教師が司会を代わり、一見丸く収めたかのように見える指導。

次に、「叱責」はどうでしょう。
「B君はA君にひどいことを言ったのよ!わかってる?わかってるなら謝りなさい!早く!…A君は出し物につい自分の好きなのに決めようとしたわよね。それも悪いこと。みんなに謝って、委員長らしくちゃんと司会をしなさい!…」

これでうまく収まるでしょうか。
そんなことはありませんよね。
表面上は何事もなかったかのように進んでも、絶対に子供たちの間にはわだかまりが残っているでしょう。
特にA君の心は傷ついたままです。

教師は、先手先手で動くべきなのです。
介入すべき場面はもっと前です。
それは、2つチャンスがあります。

1つ目のチャンス

まずお調子者のA君が委員長になることが決まってしまっていたとしたら、司会をする前、担当教師はA君に釘を刺しておく必要があります。
もっと丁寧にするなら、司会進行の脚本を書いて渡しておくことです。
そうすればA君の暴走をある程度止められます。

また、リーダーになりたがりのB君へは、次のように言っておくことも有効です。
君は、賢いって先生思ってるよ。だから、委員会でも活躍してほしい。
 でも今回は、委員長ではないよね。委員長でないから活躍できないって思ってない?そんなことはないよ。
 前にいる人が気づかないことに気づいてあげて、アドバイスするのもすごく大事なことだ。
 そういう意味でも、先生はB君に期待しているよ。
 でも、一つだけ気をつけてほしいのは、批判と悪口はちがうってこと。批判は相手をよくしてあげるための言葉だけど、悪口になったら相手を馬鹿にする言葉だから、最低だよね。
 賢いB君なら、その違いがわかるよね。

普通、こういう下準備をしておけば、あの様なトラブルは避けられるでしょう。
しかし、そういう準備ができずにいきなりその場面に立ち会わなければならないことは、多忙な学校生活の中で、特に担任外の教師ならありがちです。

2つ目のチャンス

A君が「これでいいよね?」と強引に決めようとして、B君が批判を始めた時です。
批判の言葉を言った後に、周囲の雰囲気を伺うわずかな空白時間がありました。

ここですかさず、「ちょっと待った!」的に教師は介入すべ
きです。
その場の空気を読み、B君の表情を伺い、これ以上続けるとまずいことを言い出しそう!、と瞬時に判断してB君を制止するのです。

「B君、ちょっと待って!今いいことを言ったね。
A君が自分の意見だけ通そうとしていることにきちんと反対したよね。
他の人はどう?B 君に賛成?(ほとんどの子が肯くであろう)
…A君、わかった?いくら自分の考えが良いと思っても、勝手に決めるのはダメだよね?みんなの意見も聞こうね。
(A君は、ここで引き下がるはず。B君の意見だけでは納得するには弱い。教師が他の子達の同意を得ているからこそ納得できる。)
よし!さすが委員長!これからも期待してるよ!先生も手伝うからね。
B君もよく勇気を出して自分の意見を言ったよね、すごいよ!

と、こんな風に褒める形で終われば、誰も不満に思うことはなく、話し合いはスムーズにいくことでしょう。

この様なことは、学校生活ではよくあります。
皆さんの小学校ではどうだったでしょうか。
頭も良く、自己主張の強い子どもがどうしても優位に立ちます。
下手をすると、そういう子がボスになり学級を牛耳っていきます。
最悪なのは、彼らがいじめをする場合です。
誰も助けることはできません。


助けられる、または防ぐことができるのは教師だけです。


あなたの子供時代に、またはお子さんの学校に、助けられ、防げる教師がいることを切に望みます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?