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ドイツの森で全裸に挑戦、全裸と全着衣の狭間での揺らぎそして扉の破壊

モヤモヤを打ち消すために森の中の湖に全裸で飛び込み泳ぐ、それってすごく素敵じゃないか?と思いついた。

8月が始まったばかりのベルリン。
太陽が出ている間は暑さを感じるものの、すでに風はひんやりしている、街中のあちこちに生える木々の葉も少しずつ落ち始め秋を感じ始める。

いくら土下座しても夏は過ぎてあの暗い冬が来る、土下座して夏が長引くものなら額を凹ますくらいには懇願したいところだが、自然の摂理はなんとも無常だ。

最近はお気に入りの森が枯れる前によく散歩をしに行っている。
先日も完成した刺繍作品の写真を森の奥の丘で撮りたくて行ってきた、その際に途中にある湖で素っ裸水泳をしてきた話とその時に発見した感覚を残しておこうと思う。

カナダやオーストラリアにいた際、たまにヌーディストビーチに出くわしたことがある、岩陰の向こう側に隠れるような場所で隔離されている雰囲気だった。
その点ドイツの裸文化の自然さと気軽さはある種の爽やかさを感じる。

サウナ施設が男女全裸なのは割と知られているが、夏の醍醐味である湖泳も全裸で泳ぐ文化がある。健康のためと抑圧からの解放の意味合いがあり歴史も長い。
街中で全裸を見たら驚くだろうが、森の中で全裸の人間を見るとあまり違和感がない。
遠目で見ると、あれ、妖精かな?と思うくらい。とても爽やかだ。

とはいえドイツに来て3年弱、全裸湖デビューは未だ成し遂げていなかった。

お気に入りの森、私の推し森であるGrunewald(グルーネヴァルト)の中に裸で泳げる湖があることは知っていたが、最初のひと脱ぎというのは何かキッカケがないとなかなか踏み出せないもである。

Grunewaldはベルリン中心から西南に電車で一本、30分ほどで向かえる森。

平坦な森を30分ほど歩くと木々に囲まれた湖があり、そこからさらに30分ほど歩くと小高い丘がある。
丘周辺は急勾配になっていて、斜面を登りきると広い草原が現れ、広い空の下どこまでも続く森とベルリンの小さな街を眺める事ができる。

その丘で作品写真を撮るために、家で作品とイーゼルと水をリュックに詰めている時、ふと扉の向こうに飛び込みたくなった。

裸の扉の向こう側。

最近、何かを得るために何かを捨てる、という事をずっと考えていた。
やりたいと思ったアーティストとしてのフリーランス活動、そもそも何を表したいのか、その根幹が見えてきたとき、何が必要で何を諦めるべきなのか?漠然と頭で考えては自分には何も出来ないんじゃないのか、と落ち込んでいた。
そもそも感覚第一で生きてきた人間が、頭で考えてばかりでは気分が下降するのも当たり前だ。

自分のバランスを知るために思いっきり振り切りたい。
扉の向こうに飛び込んで全身で泳ぐんだ。

リュックにタオルも詰めて電車に乗った。
水着はいらない。

夕方6時過ぎ、森の入り口に着いた。
陽はまだ照っているが斜めに木々を照らして、木漏れ日が地面に長く伸びて揺れていた。少し肌寒いせいか人は少ない。
あまり遅くなると日が沈んでしまう、目的である撮影のためにも8時前には丘についていたい。

足早に森を進む。

湖付近に差し掛かり、背の高い雑草を避けて進む。
少し開けると、草の上で人がゴロゴロして太陽をただただ楽しんでいる。 
湖付近では全裸の人が何人か、さあ泳ぐぞ〜といった具合に脇腹を伸ばして水に入って行った。 

全裸の人と全着衣の人は4:6くらい、思ったより全着勢が優勢である。

湖に着いた瞬間走って服を脱ぎ捨ててそのまま飛び込むくらいの意気込みでいた私だが、初めての経験に怖じけずいているようだった、初速を見逃した。

歩いたせいで汗ばんだので白いTシャツを脱いでリュックにしまいエアリズム1枚、スパッツ1枚の半裸、半着のどちらとも言えない中途半端な姿になり周辺を少し歩いてみることにした。


脱衣スペースなどもちろん存在しないので、どこの木の周辺で脱ごう、と考えながら歩く。

奥に行くと木々の茂みも増えるが若物のピクニックグループも増えた、みんな全着だ。
少し隠れた木の間を見つけた、この周辺で服を脱いで湖に向かおうか、と近寄ったら木の上で座って本を読んでいるカップルがいた、
もちろん全着だ。

湖を見やると400mくらいの割と広い幅をみんな頭をぷかぷかさせながら泳いでいる。
中腹に休憩用なのか、浮きで出来たスペースがあって、その上でおじさんとおばさんが太陽に向かって伸びをしているのが見える。
もちろん全裸だ。


端の方まで歩くとアジア人の全着若者男女グループと出くわした、そわそわした具合がなんとも観光なんだろうな、と思わせた。

誰に何も強制しない開放的な全裸空間、

まさに踊る阿呆に見る阿呆だな、と思った。

全裸と全着の間を彷徨い歩いてわかった、

余計なことを気にする必要はない、そこにあるのは自分と自然だけ。
自分がそこにどう向き合うのか、ただそれだけ、物事はいつもシンプルだ。

全着の人間もさっきまでは全裸だったかもしれない、全裸で泳いだ人間も体が冷えればいずれ全着になる。

常に変わっていく自分の状態を受け入れられず、頑なに脱がなければ暑さで体調を崩すし、頑なに服を着なければ冷えて風邪をひく。
常に変わっていく他人と自分を比べることにも意味はなく、比較で生まれる一喜一憂などまやかしなのだ。

自分を生きるのだ。

同じ阿呆なら泳がにゃ損損だ。
これ以上時間もない。


ぐるっと歩いた道を戻り、浅瀬のところに腰掛けている女性の横でリュックを置き湖に向かって伸びをした。

太陽の光が水面に反射して眩しい、
そのままエアリズムを脱いだ、綺麗に畳んで今度はナイキのスパッツとそのままパンツも脱ぎ全裸になった。

ー半着半裸からの卒業ー

しゃがんで服や靴下を畳んでリュックの中に入れる。
すくっと立ち上がり肩で風をきって土の上を歩く。
タオルを取りやすい位置にかけて入水する。

脱いでみてわかったがこの感覚、とてもとてもよく知っている、

なんだろう、日本の露天風呂だ。

日本の入浴施設が大好きで人が少ない昼に行くのが好きだった。
陽が照る中全裸で入る露天風呂はなんとも言えない爽やかさがある、その感覚だ。

なんだ、私は全裸の英才教育をすでに受けていたじゃないか、
なんなら日本だって長いこと混浴文化だったのだ、黒船ペリーや西洋人にドン引かれて混浴廃止令が出たのは明治ごろ、
つい最近の話じゃないか。

大和魂いざここに参らん、ドイツの湖、失礼つかまつる候。
と言ってか言わずか、足を進める。

小さい魚が足元で泳いでいるのが見えたが、次第に深くなり地面を蹴って伸びをしたらすぐに足がつかない深さになった。
水は少し冷たい。

髪を濡らすと寒いので顔を上げたまま精一杯腕と足を伸ばして平泳ぎで進む。
目に映るのは青い空と白い雲、緑の木々と光る水面。
水面とほぼ同じ目線にいる、落ち葉も虫も浮いていない、青緑の綺麗な水面だった。揺れる波の形に太陽がキラキラ反射する。
塩素の匂いもしない生き物が暮らす水、プールよりも綺麗だ、と泳いでいて思う。

ハロー、全裸のスイマーとすれ違いざま挨拶する。全裸同士の挨拶。

足のつかない場所で顔を上げながら泳ぐのは意外と疲れるもので、200mくらいで息が上がり中腹の休憩スポットに向かう。

私がたどり着く前におじさんが手すりに手をかけ休憩スポットに上がった。
水から上がるおじさんのお尻をみながら泳ぐ、私も休憩スポットに自らを水揚げする。
だいぶ息が上がっている、私の体力も落ちたな、疲れた、、、と呟きながらおじさんの反対側に座る。
人が十人くらいは座れそうな空間だった。

腕を後ろについて文字通り全身で太陽を浴びる、光の反射で自分の胴体が真っ白だと気がついた。
ついでにチクビの横に毛が生えているのにも気がついた、しかし今はこんな近くを見ている暇はない、
夕暮れの空の色の変化、緑の木々の揺れ、水面の乱反射、向こうに見える丘を眺めるのに必死だ。
冬になったらこの空はグレーに染まり、生い茂った葉も一枚残らず抜け落ち、太陽の光さえも届かなくなる、私の毛の心配などあまりにもちっぽけだ。

そろそろ泳いで戻ろうと手すりに戻った時、何気なくおじさんと喋った。

-少し寒いね、
-でも泳ぐと暑いね、
-いつも週末は人で混んでるんだけど、今日は寒いおかげで人が少なくていい
-そうなんだ、いつも来るの?
-うん、近くに住んでて森をサイクリングして泳ぐんだ、
-サイコーだね、
-ここの休憩スポットも夏の間はいつも人でいっぱいで座れないほどだよ、
-え!そんなに、私今日初めてでラッキーだったかも
-そうなんだ、たまに泳ぐといいよ、健康にいいから

他愛のない会話を拙いドイツ語で話す。
全裸同士で話していても、特に目線に困ることもなかった、会話中はお互い自然を眺めている、たまに顔を見て笑ったりする、相手の体をじっくり見ること自体が不必要で不自然なように思えた。
同じ全裸。

人種のや男女の違いはあれど、人間同士一緒だ。

それじゃあ行くね、楽しんで!といっておじさんは水面に飛び込んだ、またお尻が見えたのでお尻に向かってチャオ、と挨拶した、
水面が大きく揺れた。

私も飛び込もうと思ったが後々丘で風を浴びることも考え頭は濡らさないようにゆっくり入水した。

もう扉の向こう側に来れたんだ、無理に飛び込む必要はない。

泳いで戻りタオルで体を拭く、
畳んでおいた服を着るとき、服を着るのが名残惜しく感じた。

ああ、全着になってしまう。

でも私は確かに全裸であったし、そして全着でもあるのだ。
そしてまたたまにその狭間で揺れたりするんだろう。

それでも全裸水泳の扉は間違いなく破壊した。
破壊したことで自分のバランスが見えた。

これからも色んな狭間で揺れながら、何かの扉にぶつかったり破壊したりしていきたい。

丘で撮った写真