欲しいのは、金メダル
先日JICAから、進路希望調査と、任地ニャムガリを離れる日のお知らせが送られてきた。
それもそのはず。あと4か月もしないうちに、私は焼き鳥を片手にへべれけになっている予定なのだから。そしてカラオケで新宿に豪雨を降らせている。
進路。
今年30歳になるのに、進路希望調査を書くだなんて、おもしろい。
中3くらいから定期的に行われてきたイベントが、この年まで続くとは思わなかった。
だがしかし、そんなものは怖くない。
なぜならば…
半年前から進路を決めているからである。わはは。
それがどんなものであるかは、また帰国してから書くとして。
この2年間、というか29年間生きてきた中でやっと見つけた、自分が思う幸せの形や、人生観、今の自分のリアルを、書き留めたい。
1.自分の人生を肯定できるか
恥の多い生涯を送って来た。
物心ついたころからなぜか、「私は他人より優れている。”なにか”を持っているはず」と信じて疑わなかった。
運動はイマイチだったが、それ以外のことは、大抵うまくできることが多かった。
勉強、英語、ピアノ、歌、絵、工作、作文…
「ゆりちゃん、すごいね」
そう言われる度に、先述した”根拠のない自信”が、より確かなものに変わっていった。
「他人とは違う風に生きたい。世界に羽ばたいて活躍したい」
そんな、漠然とした将来像を描き、悦に浸っていた。
しかし、高校生ぐらいからだろうか。
出会う人の数が増えるにつれ、だんだんと、恐ろしい事実に気づいていく。
確かに、私は色々なことをうまくできる。だけど、一番になれることは、何も、ない…
井の中のカラサワ、大海を知らず。
幼き頃から抱いていた”根拠のない自信”のせいなのか、何かを極める努力をしてこなかったし、特別な才能、天性の何かは、持っていなかった。
それに気づいたころから私は、やさぐれていった。
「他人より優れているはず」と、まだ思っていたい。
だけど、「私には天性の才能なんてなくて、努力をしないと何かを手に入れられない属性なんだ」と、本当は気づいている。
だけど、認めたくない…頑張りたくない…
何でもいいから、”目立つ”という方法でしか、自尊心を保っていられなかった。
今思えば、むず痒いほど、恥ずかしい学生時代である。
私は現実から目を背け、オールも持たずに小さな船に乗って、ただただ川の流れに身を委ねていた。
当然、行きつく先は溜め池。
私が行きたかった川の上流には、血反吐を吐きながら必死で泳いだ人たちだけが辿り着いていた。
「頑張りすぎなくていいんだよ」の時代ではあるが、何かを手に入れたいのであれば、それなりに、というかかなり、頑張らなければいけない。
他人よりも上に行きたいのであれば、他人の何倍も努力をしなければいけない。当然のことだった。
色々やってきたわりに、履歴書に書けるような特技や実績は何もなかった。
入りたかった大学では、研究室さえ入らずに遊び倒し、全く志望していなかった会社に入った。
「世界に羽ばたいて…」という野望を、まだ胸に抱きながら。
そんな私が自分の人生を肯定できるようになったのは、ここ2~3年のこと。
「協力隊になってアフリカに行きたい」という夢を、やっと叶えることができてから。
かなり遠回りをしたが、やっと、自分の思い描いていたスタートラインに立つことができた。
そして、一応29年間色々やりながら生きてきたから、今までの小さな経験たちが実を結ぶことも多い。
音楽やイラスト、デザイン、日常レベルの英語。
結局、自分の人生を肯定するには、遠回りをしてでも、目的地に辿り着くことだと知った。
目的地に辿り着けば、今まで胸を張れなかったすべての経歴が、全部ここに来るために必要だったようにも思えてくる。
だから、今は胸を張って言える。
我が人生に、一片の悔いなし。(2024年現在)
2.幸せな人生って、なんだろう
1つの夢が叶い、その夢が終わりを迎えるとき、私がやりたいことは何だろう。
10年以上前から目指していた場所に来たが、「ここを人生のクライマックスにしたくない」という思いは、来る前から持っていた。
何年経っても、協力隊だったことを過去の栄光のように話し続ける大人にはなりたくない。
そして、ルワンダの農村で暮らし、気づいたことが2つある。
1つめは、私たちは何にでも挑戦できるということ。
ここルワンダでは、経済格差が教育格差に直結している。
貧しい家庭の子どもたちは良い教育を受けられず、自宅学習も難しく、学校を中退していく。当然、その先に輝かしい進路は待っていない。
では、豊かな家庭の子どもたちには輝かしい進路が待っているかと言うと、それもそうとは限らない。
ルワンダは、まだまだ発展途上国。
産業も少なく、雇用も少ない。日本みたいに、「好きなことで生きていく」ができるわけでもない。
大学院まで出ている人が職を探していたり、月収1万円ほどで暮らしていたりもするのが現実。
この現状を知り、今まで、「どうせ無理だろう」、「失敗するかもしれないし…」などと石橋を叩くことすらしなかった自分を、恥じた。
日本では、雇用もたくさんあれば、ビジネスチャンスも転がっている。最低賃金も保証されているし、社会保障制度も手厚い。
失敗したら、なんだ。
やり直すための道はいくらでもある。死にはしない。
日本人が、いかに恵まれているか、ここに来なければわからなかった。
2つめは、私は、毎日の暮らしを営むことが大好きだということ。
ここでの生活は、忙しくない。
誰もが、良くも悪くも、時間に追われず、ゆったりと暮らしている。
日本ではエレベーターのボタンを連打するくらいせっかちだった私も、今ではゆったりと腰かけて誰かを待ち続けたりできるようになった。
朝起きて、窓を開ける。
ハンドドリップでコーヒーを淹れて、ぼんやりと空を見上げる。
警備員が持って来てくれる卵を溶いて、卵焼きを作る。
庭先のマリーゴールドを摘んで、ドライフラワーにしてみる。
ゆったりとした、素朴で、それでもって丁寧な暮らしが、こんなに心を豊かにするとは、知らなった。
日本でも、”時短ライフハック”や”便利グッズ”に頼りすぎず、この”暮らしを営む”ということを大切に生きていきたい。
給与の良い仕事に就き、良い家に住み、良い車に乗り、良い食べ物を食べる人たちが”勝ち組”と言われている。
だけど私は、アパート暮らしでも、レンタカーでも、100円寿司でも良いから、毎日コーヒー豆を挽いて、ぼーっと小説を読む時間をもうけられる、満員電車や残業とは無縁の生活がしたい。
それが私にとっての幸せな人生なんだと思う。
3.器用貧乏からの、卒業
「暮らしの営みを大切にしたい」と書いたが、なにも働かずにだらだらと暮らしたいというわけではない。
むしろ、私は一番になりたい。
先述した通り、私は色々なことがわりとうまくできる。
「何でもできてすごいね」
そう言われる度に、少々の嬉しさと、「一番になれるものは何もないんだけどね」という卑屈な思いを同時に抱いている。
私は、好奇心と行動力を他人よりも少し多く持ち合わせているだけで、天性の才能やセンス、クリエイティビティはない。
典型的な”器用貧乏”だ。
全部が“良”か“優”で、”秀”をもらえる項目はない。
履歴書などの”趣味・特技”の欄も、いつも迷った挙句、空欄のままだ。
自虐風の自慢に聞こえるかもしれないが、本当にコンプレックスなのである。
多趣味なのに、肩書にできるものは一つだってない。
そもそもこうなったのは、飽き性な性格と、極めるまでの努力ができない己の怠惰さが原因だ。
「このままでいいの?」
自問自答を繰り返してきた。
そして、ようやく、一番になれそうな、一番になるために頑張れそうなことを、見つけた。
さらに、その道に進めば、今まで手を出してきたちょっとした特技たちや、人生の中で手に入れてきたちょっとしたスキルたちを、全部使うことができる。
自分の人生を、さらに肯定できる。
そして何より、最高に、心が躍る。胸が高鳴る。
「好きなことで生きていく」
青臭く、非現実的に聞こえるかもしれない。
だけど、そのための努力をすれば。
ちゃんと自分を理解して、できそうなことを形にすれば。
私なりの、幸せな人生を歩むことができる。そう信じている。
自分の暮らしとときめきを大切にしつつ、胸を張って言える、肩書を手に入れたい。
そして最後に欲しいのは、金メダル。
おわり
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