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他人の憎しみを背負うな。

眠りに落ちそうになるたびに腹痛に襲われるので、いったん寝ることを諦める。ワンルームの暗闇でmacを叩く、深夜2時。

眠れない理由は、さっき見た「ブラック・クランズマン」のせいかもしれない。

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舞台は1972年、アメリカのコロラド州コロラドスプリングス。アフリカ系アメリカ人として初めて警察官として採用された、ロン・ストールワース(左)が、ユダヤ系の警察官フィリップ・ジーマン(右)とともにKKKに潜入捜査する話。
「黒人がKKKに潜入捜査」...はい???と思ったが、これが実話に基づくというから驚きだ。誰しもがみるべき映画だと思った。


人種差別は、どこにでもある。アメリカにも、日本にも。南北戦争から150年以上たった今日は、当時と比べれば、それはそれは見違える社会になったのだろう。
でも、トランプが当選したのが今日のアメリカ。ヘイトスピーチが行われる日本。人種差別は依然そこにある。
97年生まれの私は、差別になんの意味も見出せない。肌の違い、髪の違い、スタイルの違い、カルチャーの違い。全ての違いは、自分との差異からきていて。そりゃあ世界に何十カ国も国があって、いろんな人種があれば、当たり前のことだった。違いは少しずつ、受け入れられ始めていると思う。
一方、人種差別の根底に広がるのは、「憎しみ」だった。「違い」なんかもうどうでもいいのかもしれない。ただ、そこから生まれた憎しみの沼だけは、今日も人の心に広がっていく。
肌の黒いあいつに、傷つけられた。だから、あいつらは敵だ。覚えとけ。
肌の白いあいつに、殴られた。今にみてろ。覚えとけ。と

傷つけられたことへの恨み、傷つけられることに対する恐怖、憎悪、怒り、嫉妬。愛するものがいるからこそ、この思いは止まらない。これは、白人黒人問わず全人類に共通していることだ。このとき、肌の色の違い自体は、もうたいして重要ではなかった。

さらに人は、他人の痛みをつい背負いすぎてしまうようにも思った。人は愛するものの痛みを分かち合う。だからこそ、他人の憎しみも背負ってしまう。人の、いいところでもあり、悪いところでもある。強くて、弱いところだと思う。そうして他人の憎しみにまで囚われてしまう。

憎しみに囚われ続けたままの人生は、もはや自分の人生とは言えないと思う。傷つけられた事実は変わらない。そして、憎しみは愛する人へ、例えば我が子へも連鎖する。自分の愛する子供にまで、その光のない道を歩ませるのか。

本当に、愛する人の幸せを願うなら、考えるべきは憎しみについてではなく、幸せについてだ。囚われ身にとって、それは容易なことではない。それでも憎しみの連鎖は、自ら脱しなければならないと思った。自分の道はその先にある。そして、愛する人たちの道もその先にあるのだ。

人種差別だけじゃない。今日に至る歴史の中、いくつもの憎しみの連鎖が生まれてきた。そして今日、私はその狭間で生きているんだと思う。私の人生は、今のところ憎しみに満ちてはいない。それは、誰かが守ってくれたから、誰かが憎しみの連鎖を止めてくれたおかげかもしれない。そんなふうにも思えた。

愛があって憎しみがある。人は愛ですぐに目がくらむし、愛はときに人を苦しめる。人はひどく不器用で、愛はとても厄介だ。だからこそ、人は愛おしい。隣人もまた、私と同じように、誰かを愛し誰かに愛される存在で、そう思うと一人一人が愛おしいと感じた。憎しみの底無し沼に、誰も引き込みたくないし、誰も引き込まれて欲しくなくて、眠れなかったんだと思う。言葉にしないと眠れなかった。


こんなところまで読んでくださった方。お付き合いいただきありがとうございました。あなたの人生、そしてあなたの愛する人の人生が、幸せでありますように。

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