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Essay

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2020年4月の記事一覧

フェーズ

お元気ですか。こんにちは。私は意味もなく疲れています。ただ、連休に突入するにあたり、そのままでいるのもなんだかもやもやして、今回、思うままに書いたら厚みも熱量も、非常に暑苦しくなってしまいました。 混乱我々は今、混乱の最中にいる。 これはパニックだ。大きな主語を用いるのは好きではないが、確実に言えるのは現在は人類のほぼ全てが、パニックの状態に陥っている。 私とて当たり前に例外などではなく、その中でどうにかこうにか、毎日息をしている。 混乱を極めた状況の中、毎日目を凝らし

明瞭

「はっきりさせたくて」書き出すことは非常に多い。私は、書く内容を起承転結、論理立ててから書き始めることは滅多にない。 ぼんやりとした違和感や、心の引っ掛かりがあるときに、直接書き出す。書き出しか、タイトルか、言いたいことの、どれかが思いついたらそのまま入力していく。 書くことによって、抱いていたそれがなんなのか、輪郭が少しだけ見えてくる。 だから今回のタイトルは「明瞭」。 はっきりさせたいことは、 「物事の白黒」 「判断の是非」 「思想の善悪」 などではない。書くこと

価値

私の価値はまあまあショボくて、せいぜい細々仕事するくらいと、旦那と子供たちにマシな料理を提供することくらいしかない。 だから私の書くものになぞ価値もないのだが…と言い出すと、あまりにしみったれているので方向性を変えよう。 私は、私にはたいして価値の無い凡人だからこそ、そうでない人に強烈な憧れを抱いて暮らしている。スポーツを観るのはその最たるものだ。 こんな時期は、何があっても、無いよりはありがたいものだ。私も、私の好きな、バスケットボールで、選手の皆が、再びプレーできる

他者

久しぶりに出かけた。 今にもぎっくり腰になりそうで、やむを得ず整体に行った。庭でする運動はやはり些細なもので、川辺での散歩も人が多くままならなかったら身体中痛くなってしまい、なんだか山のような罪悪感とともに街を歩いた。 家から出ないで済むのは有難い事だ、というのは理解している。恐る恐る歩く街には、昼間だったこともあり人がそれなりに多くて、私はなんだか怖くなってしまった。 感染とかそういうことではない。スーパーに買い物は行っているので。 なんだかこう、慣れていない気持ちが

好きと嫌い

ほぼ誰にでも好かれる人はすごいな、とよく思います。たぶんとても気持ちの良い人であって、自然とそれができるのなら人格者なんだろうし、もしご苦労があるのだとするのならば、それをやれる強さや優しさがあるからです。 私はできないから書いています。自然とそうさせる柔軟さも心の優しさもないからきっと努力しなければならないんだろうけども、それも面倒だからです。悪いところを挙げるとするならば、この怠惰が諸悪の根源なのでしょう。 「嫌われる勇気」という本がベストセラーになった一時代がありま

ドミノのひとつ

この惑星には、人間がきっと多すぎる。 減る時代に居合わせてしまったのか。そう思ってしまったが、私とて減る側、になる気など毛頭ないし、私の大切な人々も全員元気で生き残ることを毎日祈っている。 ドミノをやったことはあるだろうか。 トランプタワーでもいい。 ああいったゲームは、ある図案などを完成させさせてから、それを壊すことにカタルシスを得るものだが、ほんの少しだけ私たちのおかれている状況に似ている。ただ、今行われているそれは、肝心のルールが違う。 私たちは倒れられない。

呼吸する屑

単に言って、私は屑の類に属する人間だ。怠け者だし、片付けが大の苦手。器用でもないし、この年齢の女性が身につけなければならないであろう社交性も、穏やかな気性もほぼほぼ、ない。秀でるような特技もなく、大輪の華のような美しさに至っては若い頃からない。そこそこに飽きっぽく平凡で、小柄で運動神経もうまいこと繋がってもいない。物理的に無駄に声だけが大きい。 唯一続いていることといえば、無駄に書き散らかすことくらいである。 幼い頃は小さな紙切れで手紙を授業中に回して怒られたし、交換日記

忘れないでいること

この土日、食料品の買い出し以外は家にいた。だが、風光明媚な場所には人が集まっているニュースを耳にし、今、自分のやっていることは意味がないのかもしれないな…と頭に過る。 だが、だからといって諦めている場合ではない。私には子供達もいるし、何よりも、また会いたい人たちがいる。 数少ない理解してくれる友人たちと、やはり、バスケットボールに、好きな選手を観に、行くためには耐えなければならない時間だろう。 戻ってきて欲しい、返して欲しい、どうしてももう一度会いたい、 または、助か

喪失と獲得

人は失敗した方が魅力的なのかもしれない。 それも、些細で可愛らしいもの。周りがどう扱っていいのか困るようなどん底に落ち込むようなシビアな奴ではなく、がんばったんだけどな!とか、おっちょこちょいめ!とかに分類される類のものだ。 多少の瑕疵はたぶん人を魅力的に見せる。完璧超人よりは身近で親しみやすくて、妬みも嫉みも沸いてこない。多くの人が、自分が思うことで自分の嫌な部分が滲み出てくるのは気分の良いものではないだろうから。 家に子供と籠もって2ヶ月目。私は仕事柄、延期が繰り

哀しき「養分」

初めてスポーツを観戦したのは、夜の神宮球場だった。内野席、ビジター側。テレビでずっと見ていた光景がそこにはあった。小学校低学年だったと思う。デパートで買ってもらったおにぎりを食べながら観ていて、試合は負けたような気がする。何故ならホーム外野席の踊るビニール傘を、憎らしげに思った記憶があるからだ。 そこから、色々なスポーツを観た。 30年以上が過ぎた。 今、私はバスケットボールを観ている。 私にとって、スポーツを観ることは「趣味」であり「娯楽」であり「癒し」だ。 スポーツを

こんな時だから「何を言ってもいい」

寒い雨の日です。 こんな時ってなんだよそもそも。 私は有事だからとか平常時だからとか、物事を考えたり話したり行動したりするときに、判断の基準にしていません。 ブレッブレじゃん。貫いとけって。 だって、ダサくないです?私は冴えない平らな顔したおばさんなんだけど、そういうダサいのはちょっとね。 たまにはこういうnoteで。だって雨だし。 ポジティブは気持ち自体を暗くはしないけれど、続けすぎると若干窮屈だ。かといってネガティブだけでいると、考え立ち止まることはできても、精

共に闘うなら、尊敬する人と

貴方は誰と共に闘っていますか。 怯える暮らしには、もう飽きました。 私は闘って、生き抜きたいのです。 noteを書こう、と思いながら月日が過ぎ、いつの間にか世界中の全てが止まろうとしています。 こちらでははじめまして。 私はただバスケ観戦が趣味の、どこにでもいる平凡な人間です。 発言の場としてのTwitterを停止し、心の中に溢れる思いはここに記すことにしました。刹那的に流れては消えていく世界は楽しかったことも多いけれど、繋ぎ留めておく何かが、私の中で失われてし