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Essay

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記事一覧

書くことは生きること

私は魂を言葉に乗せるタイプだ。 映像記憶は下手で、絵も上手くない。だからカメラも持たない。 私の脳内の世界は文字情報に溢れている。頭の中は散らかっているけれど、たくさんの付箋がついた本が転がっている。頭の中の図書係はまだ頑張ってくれていて、幼い頃の記憶から今までの全てを必死に引っ張り出してくれる。 映像記憶が上手くないけれど、私は観たものを長く記憶しておきたい。それは単に、それが好きだからだ。こんなに幸せで好きで、快の感情が得られるものは稀で、だからしがみついている。書き

凪の季節

5人制バスケットボールのシーズンが終わりました。私は正直、かつてないほどほっとしています。 どんなシーズンだったのか少し振り返る余裕が出てきました。思えば、イレギュラー続きだったシーズン。 B1,2のシーズン開始に新規外国籍選手の入国が間に合わず、特例措置として国内に留まっていた外国籍選手との繋ぎとしての短期契約が許可され。 度重なる検査から陽性が判明すれば延期や消滅の試合が発生し、半数の客入りを規定され、情勢によりリモートゲームと呼ばれた無観客試合にもなる。 観客の我

オフシーズンなので

私の愛する魂の末妹がやっていたこれ、25年くらい前にもやったなぁ…まだ息づいているのだな…と、懐かしくなったので真似しました。許して末妹。 末妹のかわいいおはなしはこちら↓ 私がやると薄ら寒い。 たまには許してほしい。 1.推しを知ったきっかけは? Twitterのフォロワーになってくださっている石田剛規選手(当時)に勧められて3x3を観に行ったらプレーしていた 2.推しが気になったきっかけは? 3x3の後に5人制を観に行ったらびっくりするほどアンセルフィッシュだったか

糧とか夢とか推し疲れとか

見つけたらいけない記事を読んでしまったような、そろそろそういう話は出るよな、と至極当たり前のような。 Twitterのトレンドには #推し疲れ が出るわけなんだけど、この記事を読んで思ったのはとりあえず 自分が元気じゃないとおたくはできないから!!! この記事の人、かなり元気ないもんな… 健全で純然たる推し事…とどのつまり、二次元であれ三次元であれ二.五次元であれ、コアに趣味に没頭し、めっちゃ積むには、自分の身体の健康と経済的な自立が必要だと思っているので、このご時世、難

自己愛の行方

愛とは何か、みたいな壮大なテーマはまだ私には早いと思ってはいるのだけれど。 ここのところいつも書いている話とは違う話を書こうかなって思います。 自分のことって愛せてます? なかなかこう、分からない問題というか。私は自分の性格もうまいこと表現できない程度には自己分析ができていないので、自分に対しての愛情みたいなものも実のところはよくわかりません。 ただ、ここ近年の自分は嫌いではないです。 概ねクズなりにも満足している感じ。 私はあまりいい家庭環境で育ったわけではないの

推しは推せる時に推せって話

タイトルは結構使い古されたものになりました。 バイウィークで試合がなかったので、ありふれた話をします。 推しって言葉は端的で便利で、それゆえに少しいい加減で抵抗がなくはないですが、あんまりにもお名前を連呼するのも気が引けて時々使うようにしています。 推しは変な意味があまり含まれていなくて良い。私は付き合う男は間に合っていますので、スポーツ選手として応援したい気持ちだけがやたら強いからです。 私の推しはバスケットボール選手です。スポーツを観るのが当たり前の家に育って、小学校

B3開幕によせて

懐かしい写真を振り返るばかりの日々でした。まあ意味なんてないんですけど。 私が最後に好きな選手を観に行けたのは昨年の2月初頭でした。 あれからほぼ、一年が経とうとしています。 一瞬だけB1島根にいたけれど、それはすごくいい夢を見ていたような時間で、世情に負けて私は行くことを諦めていました。 俗に言う「推しのバスケ」以外の救いを、この一年の間で私は探すことができていません。 久々に野球もサッカーも真面目に観ましたし、他の趣味がないわけでもなく、仕事にやたら打ち込んだりも

私がスポーツにお金を払う理由

私は、スポーツ観戦が趣味です。 社会人になり、自分でとりあえずお給料をいただけるようになってからは、観に行くスポーツのほぼ全てはチケットを購入して観戦しています。 それが良いとも、偉いとも別に思ってないですよ。最初に前書きしておきます。 ただ、その理由を書いておこうかな、と思ったのです。 単純に推しに貢ぎたい貢がせてくれーーー!!! ほぼほぼこれに尽きるのです。お金使いたいんです。湯水のように注げる富豪ではなくても、ポンと決まった額を出せるスポンサーでなくても、そのと

バスケじゃなくてサッカーを観に行った話

私の趣味はバスケ観戦ですが、夏の3人制バスケットも中止になり、5人制はオフシーズンなのでサッカーを観に行ってみました。 私は神奈川県民なので平塚に受肉。対戦相手は是非とも観てみたかったセレッソ大阪です。 友人にチケットを確保してもらい、検温と消毒を済ませて、両サイド2席ずつ空いた全席指定席で観戦しました。5000人制限での開催で観客数は約3500人。天気も良く快適に距離を取って観戦できました。 どうしてもサッカーとバスケットボールを比較する形で観戦したのですけれど、J1

蓄積と療養

泡沫の夢

31歳から41歳の私を生きた記憶がある。古いぼんやりとした記憶は幼稚園くらいからあるけれど、ここ近年の10年は流石にまだ鮮明だ。 31。娘が腹の中にいる。私は吐いてる。 32。娘を腹の中から出した。皆生きてる。 33。息子が腕を折る。私も初の救急車に乗る。 34。娘の夜泣きが8回。私が狂う。 35。息子がミニバスに入る。 36。娘幼稚園へ。私は復職して稼ぎができる。 37。稼ぎでNBA配信を契約して観る。 38。バスケ観戦しだす。SNSが活発。 39。推しをまじめに推す。娘

友とカレーと宇宙

月に一回だけ美味しいものを食べに行くことにした。 自粛して自粛しまくり、なんだかもう外での娯楽は何もない。家の中で過ごす趣味がないわけではない。本も読むしゲームもする。お菓子も作るし凝った料理もやる。 ただ、外に出て何かをしたり人と話したりするものの代わりはなかなか見つからない。 料理は自粛がどうとかではなく、私は平日三食は必ず、家族全員の分は私が考えて用意しているので、延々と料理はしているしお弁当も毎日作る。 だからこそ外では自分で作れないものが食べたい。 という

卑怯者

鍵アカウントでつぶやくことや、顔や名前を出さないことに、疑問を抱かれたことはありますか。 人は意味がわからないものを卑怯だと扱ったりします。 こんなこと、他人は他人の事情があるだけで、その人の方針に口出しする方が煩いし偉そうなだけです。あれはいったい何様なの? 正論で押すやり方から論理的にあれすると、ソーシャルネットワークというものは、そもそも一人ひとりの使い方や、やりたい事に対してスタンスを自由に決められるものです。 顔を出した方が商売に良さそうならそうすればいいし

好き好き大好き超愛してる

愛は祈りだ。 表題は作家・舞城王太郎氏の傑作のタイトルです。むせかえるほど甘くてメロウでかなしい本。 冒頭の言葉、愛は…の意味は、私にはまだ少ししかわからない。これは恋愛小説なのだけれど、私にとっての恋愛はとっくに家族愛になってしまった。 では愛は無いのか。 そうでもないと思うんだよね。愛してる、にはもちろん、ふしだらさとか、情慾とか、嫉妬とか、そういう不埒で熱いものもあるけれど、それとは違う、それ以外の意味の方が多い気がしていて、私の中にはまだたくさんある。 向け