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自己愛の行方

愛とは何か、みたいな壮大なテーマはまだ私には早いと思ってはいるのだけれど。

ここのところいつも書いている話とは違う話を書こうかなって思います。

自分のことって愛せてます?

なかなかこう、分からない問題というか。私は自分の性格もうまいこと表現できない程度には自己分析ができていないので、自分に対しての愛情みたいなものも実のところはよくわかりません。

ただ、ここ近年の自分は嫌いではないです。
概ねクズなりにも満足している感じ。

私はあまりいい家庭環境で育ったわけではないので、家庭を築くこと自体にもあまり自信がありませんでしたが、現在何故か配偶者にも子供達にもすこぶるモテているので(ロクな妻や母親でないことは分かっています)無類の信頼みたいなものを与えられることは、ありがたいなと思っています。

別に全てが順風満帆というわけではないです。何せロクでもないので、掃除や片付けも苦手だし、ヒーヒーいいながらアイロンかけたりして、だいたいいつも仕事が終わらなくて夜中に唸ったりもしています。

自己愛の行方、と書きましたが。私は愛されたい、という欲求みたいなものは、当たり前にヒトが抱くものだ、と思っています。それで、それをどう取り扱うのか、ということについて。

昔の私は強烈に自分が嫌いで、僻んでいるようなところがありました。まあ鏡くらい見るしね。若い頃の美醜の観念はほんとにキツかった。
で、それでも今の配偶者と家庭を持つことになって、まあ別に自分もそんなに変えられなくて、良妻賢母にもなれず(まず家事が下手!)歳だけは取るし不妊治療はするしで、もう自分が役立たずなんだなってどん底だったりもしたわけですけども。

いやよく配偶者は私を捨てなかったなおい。

で、徐々にやめようとしたのが自虐をしないこと。ブスだとか、ババアだとか、そういうやつね。

だからって急にポジティブ野郎になるわけでもなく、ましてや急に美女になるわけでもないんですが、そこから少しずつ他人に迷惑をかけない範囲の「自分の機嫌の取り方」みたいなものを考えだした気がします。

なんか、まあ実際美しくもなく歳も重ねて、事実なんですけど、自分で自分のことかわいそぶっても何も面白くないなって。
今って結構多くないですか。謙遜なのかもしれないけれど、ある程度自分を悪く言って、SNSみたいな仮想現実のやりとりで憐れみを買おうとすることでいいねをもらって満足するみたいな行為。
正直、それがクセになると夜中に媒体を閉じた時に強烈に虚しくなりそう…。

クズなりに、できるだけ自分の気持ちを裏切りたくはなくて、どうせいつか死ぬなら面白くしたくて、まあまあどうにか生きています。

機嫌の取り方にはいろいろあって。好きな料理を作って食べたり、作れないなら食べに行ったりもそうだし、誰にも邪魔されず旅行したり眠ったりする時間を作るとか。あとは子供達と書店に行って本を選んで黙々と読んだりとか。もちろんバスケを観に行ったりとか。

なるべく仮想ではなく、時と場合に応じてできそうなことを選べるように、いくつか選択肢ができるように、変に自分で自分を苛んでだれかの関心を惹くとかの、他人に害の及ばないような何か。

自己愛って必要だと思うんですよ。ただ、それを常に他人に与えられることを待って、常にそれを渇望している状態はほんとに大変そう。

私を見て!とか、
私を認めて!とか、身も蓋もない表現をすると、
もっとチヤホヤされたい!!!

みたいな感情は、誰かに投げずにまず自分で自分のことを愛してあげたらってやつです。

そうすることで、愛情のバケツに少し入ってくるから、誰かがそれを足してくれることもでてくるんじゃないかなって思うのです。

で、そのバケツがいっぱいになったとき、初めて誰かにそれを注いでみたい、と思うんじゃないかな、と思うんです。

と、自粛して引きこもりゴールデンウィークの自分の機嫌の取り方を模索している私でした。


2021.05.